
ちょうどマメが亡くなる前、虹が2本出た日があったんです。マメはあの虹を渡るのかなと思いながら、「にじ」という曲をかけて空を見上げたものでした。
マメが亡くなったあと、お母さん代わりだった柴犬のさくらが後を追うように旅立ちました。さくらは老衰だったけど、マメは2歳で元気な盛り。飼育の仕方が悪かったのか、ストレスがあったのか……。台所で家族の食事を作っていてもマメのことを思うと涙が出て、子どもにも「母ちゃんダメだな」といわれるほど。ずいぶん自分を責めた時期もありました。
でもこれは試練というか……、動物たちの寿命はそれぞれで、マメくらい若い子を失くすこともあるんだなと、だんだんと思うようなりました。
みんながみんな老犬老猫の年まで生きて、(飼い主が)納得する形でお別れできるとは限らないんだ。飼う以上はそういうことも起きる。命を迎えるにはそれなりの「覚悟」が必要なのだと、考えさせられました。
治療に関しても、飼い主の最終判断になるけれど、何がその子にとってよい治療なのか、果たしてそれが正しかったのかどうかも結局はわからない。でもそのつらさもいつか“乗り越えないと”いけないんですね。
短くも濃い日々が生き続けていく
マメがいなくなり半年以上が経ちますが、ラインのアイコンもマメのまんま。すぐ身近に感じています。
じつは、マメが亡くなる一週間前に迎えた、ユベシという猫がいます。仲のよい友だちが道端で見つけた白黒の猫で、里親が決まらず、うちでもらうことにしたのです。ユベシが来た時、マメの足は弱くなっていたけれど、まさかその後に急に亡くなるとは思わなかったし、ユベシに会いにいくとすごく私に懐いたので、縁を感じて連れ帰りました。
今はそのユベシが、マメがしたように「にゃーん」と私を呼んで鳴いたり、マッサージ機に寝ころぶと必ずや察知して、お腹の上に来てフミフミしたりします。マメに似ていて不思議です。
まだまださみしく、モチやユベシを呼ぶ時に、とっさにマメ!といってしまうこともあります。猫たちは、いいんだよお母さん、と思ってくれているかな。

マメ、うちに来てくれて本当にありがとうね。初めて暮らした猫”がマメでよかった。猫の可愛さも含め本当に色々教わりました。モチやユベシを可愛がれるのも、マメとの出会いがあったからこそ。短くも濃い日々、あたたかな温もりが私の中で生き続けていくでしょう。