スペイン留学の後半はほとんど学校に行かずに撮影に打ち込んだ。
「ぼくの撮影で『心の拠点』となったのはサラゴサとバルセロナ、そして牛追い祭りで有名なパンプローナ。ここへは、スペインで知り合って、のちに小説家となる佐伯泰英さんと一緒に行きました」
高橋さんの心に強く残ったのは内戦の影だった。特にバルセロナの人々の姿には、それがうつむき加減に見えるような暗さがあった。
「膨大な人々が亡くなった内戦時代、共和国軍側の都だったバルセロナは徹底的にたたかれました。ぼくがスペインに行ったとき、すでに内戦終結から30年もたっていましたが、フランコ独裁政権下で人々は疲弊して、覇気が感じられなかった。今でも佐伯さんとそのことをよく話すんですけれど、彼も『内戦の影が残っていた』と言いますね」
写真雑誌の表紙に
サラゴサで撮影した印象的な写真に街の中心を流れるエブロ川沿いに住んでいたロマ人のポートレートがある。
「ロマ人の暮らしのなかに入って、写真を撮影した。それを後日、プリントして渡したらすごく喜ばれた。彼らは自分たちの写真を持っていませんから。ところがスペイン人はぼくがロマ人を撮影すると嫌がるんですよ。『これはスペインじゃない』って。当時、スペイン人はロマの写真なんて、誰も撮っていないでしょう」
結局、高橋さんのスペイン留学は自然消滅のようなかたちとなり、72年に帰国した。
「帰国した翌日だと思うんですけど、写真を持って『カメラ毎日』の山岸さんを訪ねたんです。受付で断られたんですが、ずっとねばっていたら、じゃあ、上がってこい、と。で、会ったら、いきなり怒られた。『電話もかけずにくるやつがあるか。君はいったい何者だ?』って。でも、写真を見てくれた。そうしたら『ああ、いいなあ』って」
高橋さんの写真は表紙に採用され、グラビアページも組まれた。
「当時『カメラ毎日』の表紙を飾るというのは大変なことで、スペインでの撮り方はあれでよかったんだと、思うようになりました」
一方、「ぼくは社会派ではないですし、何の思いもなく撮影していたから、この写真にはっきりとした骨格や、まなざしはない」と、率直に語る。
「当時はもっとかっこよく撮りたかったのかもしれません。でも、その技法がなかったから人々の営みを淡々と撮影した。まあ、そんなすがすがしさと初々しさはあると思います」
そんな高橋さんの作品が6月29日からフジフイルム スクエア 写真歴史博物館(東京・六本木)で展示される。
「写真展のスペースとしてはそれほど広くないんですが、このコーナーに展示されるのは写真界の大御所の作品ばかりなんですよ。だから、ぼくにとっては、すごい勲章です」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】高橋宣之写真展「鳥の歌 El Cant dels Ocells」
フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 6月29日~9月27日