自民党の参院幹事長時代の青木幹雄氏
自民党の参院幹事長時代の青木幹雄氏
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「参議院のドン」と呼ばれた青木幹雄元官房長官が老衰のため、6月11日に亡くなった。89歳だった。青木氏は長年、同郷の竹下登元首相の秘書として仕え、島根県議から1986年に参院議員に当選。竹下氏が首相に就任すると、青木氏も自民党の実力者として、参院幹事長や会長など要職を歴任。竹下氏が立ち上げた「経世会」を源流に持つ「平成研」(現、茂木派)で竹下氏を支え、派閥内でも大きな影響力を誇った。

【写真】首相時代の小泉純一郎氏らと握手をする青木幹雄氏

 1998年に「平成研」の会長、小渕恵三氏が首相の座に就くと官房長官に就任。2000年4月、小渕氏が脳梗塞(こうそく)で倒れるという緊急事態に首相臨時代理を任された。森喜朗氏が首相に就任した際には、野中広務幹事長代理(当時)、亀井静香政調会長(同)らと密室で後継を決める流れを作った「5人組」として批判を浴びた。

 その後、参院幹事長に復帰すると「キングメーカー」として手腕をふるった。2003年の自民党総裁選では、平成研が橋本龍太郎氏を推していたにもかかわらず、青木氏は小泉純一郎氏の推薦人に自ら名を連ね、派閥の参院議員をまとめて当選に導いた。

 その小泉氏は、

「参議院のことは青木氏にすべてやってもらっています」

 と語るほどで、それゆえ青木氏のまわりはいつも、議員や業界団体幹部、マスコミが囲んでいた。

郵政民営化関連法が成立し、握手する小泉純一郎首相と青木幹雄参院議員会長ら(肩書はいずれも当時)
郵政民営化関連法が成立し、握手する小泉純一郎首相と青木幹雄参院議員会長ら(肩書はいずれも当時)

 参議院の任期は6年。それだけ議員同士、派閥の結束も固い。青木氏は、

「うち(平成研)の根幹は、参議院のまとまりだ」

 とも話していた。

 2010年には体調不良を理由に、長男の一彦氏に後を継がせ、政界の一線から身を引いた。

 しかし、国会近くの個人事務所には毎日のように多数の来客があった。自民党の政調担当を長く務めた政治評論家の田村重信氏は、

「歴代首相や自民党幹部が青木氏のアドバイスを求めて個人事務所を訪ねるのは、影響力があることを象徴しているのでしょうね」

 と話す。

 こんなこともあった。

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「汗は自分でかく、手柄は人に」