女性も今でこそ手話を使ってコミュニケーションをとるが、子どものころは両親や教員から「手話を使わないように」と言われていたそうだ。また教員から「いろいろな体験をさせて」とも言われていた両親には、キャンプや釣り、スキーなどによく連れて行ってもらったという。小学生のころは、スイミングスクールやエレクトーン教室などにも通い、家庭教師もついたという。
女性は当時を「何に対しても成績を残さないといけないと思っていました」と言い、「ここまでやれば認めてくれるかなって感じでやり続けていました」と振り返る。
親の期待に応えるには「できる自分」を出さなければいけない。しかし、学校では「できない自分」でいたい。女性の心は、次第に引き裂かれていった。家では何も話さなくなり、「死にたい」と考えるようになっていたという。エレクトーンや習字で失敗すると、自分で手や足を赤くなるまでたたいたりつねったりするようになっていった。
「親は、自分たちが死んでも私が一人で生きていけるようにという思いだったと思います。ただ私は、『できる自分』と『できないでいたい自分』との間で、どうあればいいのかわからなくなっていきました」
■「がんばってるね」の一言が……
進学校の県立高校に進むと、親は喜び、厳しいことは言わなくなった。そこで、女性はようやく「できる自分」を封印することができた。「できない人」は親しまれやすいと思い、テストでわざと20点や30点をとってはクラスで笑いのネタにして楽しんだ。ダウンタウンや明石家さんまなどが出ているお笑い番組を見ては、ものまねをしたり「どうウケるか」を考えて友達とはしゃいだりした。「いじめはなくなり、友達もできました」。
だが、「聞こえないのにすごいね」「聴覚障害があるのに、よくがんばっているね」。そう言われるたびに、女性は違和感を覚えた。勉強ができるのは、自分にとっては努力したことではなく、普通のこと。なのに、障害があるだけで、「がんばっている」と見なされるのが、つらかった。「だって、聞こえないことと、能力は関係ないはずですよね?」。