ドラマの制作チームからのオファーは、「“ペペ・トルメント・アスカラール”(菊地が主宰するバンド)の作風でお願いします」という内容だったんですよ。それで、こういうのは本当に偶然で、僕は偶然によってしか動かないんですけど(笑)、ドラマのエンディングテーマ曲の方向性を示す締め切りの日に、たまたま「BM&C」の授業があって。その日に生徒が提出してくれた楽曲をドラマの映像に合わせてみたら、何曲か「ピッタリだな」という曲があって。そのなかの1曲が、『岸辺露伴は動かない』のエンディング曲のリファレンス(参考音源)になったんですよね。
■「生徒たちの作品は宝の山」
――それが新音楽制作工房の設立につながった?
まず考えたのは、「この状況をもっと面白くするにはどうしたらいいだろう?」ということでした。生徒たちの作品は宝の山。それをリファレンスにして、「俺の作品だ」と言い張ることもできるだろうけど、そんなのは最悪じゃないですか。日本ではこうした事は当たり前にあったりするんですが、アメリカの音楽界は50年代から分業が進んでいて、作曲家の先生がメインのメロディーを書き、オーケストレーター(編曲家)がアレンジする、それを正規クレジットして報酬を出す、という形式が確立されていた。もっとさかのぼれば、ミケランジェロなども一人で描いていたわけではなく、すべて工房制作だった。
生徒は授業提出物が、僕の手によって完成し、作品にクレジットされれば喜ぶでしょうし、僕はすごい才能をチャージした状態になる(笑)。ただ、そのとき僕が思ったのは「それはつまらないな」だったんです。この状況をもっと面白くするためには、クラス全体を作曲家同士のギルドにするべきだなと。最初は僕に来た仕事を配分することになりますが、続けているうちに「新音楽制作工房」の名前が広まれば、工房のメンバーを1本釣りして、「あの人にお願いしたい」というケースも出てくるはずだと。そのことを生徒に伝えたら、全体が「やります」と言ってくれたんです。
――才能のある生徒との出会いと、『岸辺露伴は動かない』の劇伴制作のタイミングが重なった。
先ほど言った通り、僕は計画性では動きません、全て偶然に任せています。博打打ちに近いかもしれないですけどね。「え? え? こいつらヤバくない?」という思いが高まった時と、『岸辺露伴は動かない』のシリーズ化が決まったのが同時でしたし、もう一つ、NFTが話題になったことも関係しているかもしれないです。僕自身NFTには興味がないし、クラウドファンディングすら抵抗があるんです。「舞台で演奏して、木戸銭をもらうのが音楽家じゃないの?」と思っている年寄りなので(笑)。つまり僕の活動には、インターネットを介したアイデアが入ってないんですよね。メンバーの音源を販売するためのカタログサイトは作りましたが、あとはLINEで連絡事項のやりとりをしているくらい(笑)。「新音楽制作工房」の実質はむしろ江戸時代の浮世絵師に近いというか、前近代的なんです。とはいえ、たとえば漫画家とアシスタントの場合、漫画家の先生の存在は絶対で、その関係性が転倒することはない。それもつまらないです。システムとして実際に現存するので。