■芸術的な労働に対する人権の在り方
――工房のメンバーとの関係はあくまでもフラットにしたい、と?
そうですね。僕には子供がいませんが、多くの人が子供に向ける夢があるじゃないですか。「俺以上の人間になってほしい」とかなんとか。僕の場合はそれが、若いミュージシャンと生徒に向けるしかないですね、構造的に。で、ミュージシャンに関しては、僕よりすごい人たちが次々と登場しているし、そこに関しては夢が叶ってるんですよ。新音楽制作工房のメンバーに対しても、同じような気持ちがあるんですよね。
年寄りというのは、才能のある若い世代が登場したときに、厳しく当たって潰してしまうようなタイプと「俺はいいから、どんどんやって」というタイプがいると思うんですが、僕は完全に後者なので。というか、どうやったら前者になれるのかすら分かりません(笑)。この記事が出るころには還暦ですからね。チャーリー・パーカーやジョン・コルトレーンはとっくに亡くなっている年齢ですし、自分が尊敬しているクリエイターが60歳のときになにをやっていたか調べてみると、やってもやらなくても良いようなことをして時間を潰してるか(笑)、後進のために活動しているかのどちらかなんです。流れに身を任せているうちに「あ、オレ、ギルドを作るんだ」と思いましたね(笑)。
――ギルドという形式は中世から存在していましたが、21世紀の音楽制作にも有効だと。
芸術的な労働に対する人権の在り方にも関わっていると思います。アメリカのヒップホップの楽曲のクレジットを見ると、10人くらい名前が並んでいるんですよ。フックになるメロディーを作った人、トラックを作った人から、ちょっとしたリズムのアイデアを出した人からドラムキットを組んだだけの人まで、関わった人の名前を全部乗せるのが当たり前になっている。日本は制作に携わっているのに、よっぽど主要な仕事をしないと名前が出ないというケースが一般化しています。まあ、徒弟制の歴史だとか、日本の情緒的なフィクスもあるとは思いますんで、人様のことはどうでも良い。それよりも何よりも、今は激動期なんです。Chat GPTをはじめとするAIの登場はMIDIより大きいかもしれないです。AIにディープラーニングさせ、曲を作らせるということが当たり前になると、著作権は誰が持つのかわからない。他にも実に様々な点で、インターネット、SNSによる音産変化の、数千倍はヤバい時期だと思います。この時期に「生身の接触があるギルドを作り、代表を名乗る」と言うのは、我ながら自分らしいなと思います(笑)。
――「菊地成孔/新音楽制作工房」という名前が最初にクレジットされたのは、2021年12月に放送されたドラマ『岸辺露伴は動かない』(第4話~第6話)でした。
先ほども言ったように『岸辺露伴は動かない』の音楽には、2020年に放送された第1シーズンから新音楽制作工房のメンバーによるリファレンス使用がありました。そして、第2シーズン(第4話~第6話)からは劇伴全体に関わってもらうようになったので、「菊地成孔/新音楽制作工房」としたわけです。もちろん、今回の映画化(『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』)もそうですね。第一にテレビドラマや映画の劇伴は納品する曲の数が多いです。これこそ工房製作の力が発揮される現場なんですね。