「本社は渋谷区に」とこだわってきた。渋谷が起業家らの街にという夢の実現に、投資ファンドの運用に自らも加わった。後ろは現本社のビル(撮影/狩野喜彦)
「本社は渋谷区に」とこだわってきた。渋谷が起業家らの街にという夢の実現に、投資ファンドの運用に自らも加わった。後ろは現本社のビル(撮影/狩野喜彦)

■急死した恩人 その思いを継ぐ起業家育成の役

 日比谷を再訪した日、渋谷区神山町のビルも訪ねた。DeNAを株式会社にして2カ所目の本社で、99年11月に最初のサービスとなるネットオークション「ビッダーズ」が起動し、仲間たちが歓声を上げた建物だ。

 近くでタクシーを降りると、ビルをちらっとみて、そのまま裏道へ入り、神山町の前に本社があった同区富ケ谷へ進んだ。T字路の角で、足がピタッと止まる。「あっ、ここです。ここを曲がったところです」。角から数十歩、小さなビルの前に立ち、無言で見上げた。そして、うれしそうに言った。

「やっぱり、懐かしいなぁ」

「ビッダーズ」立ち上げの直前、「できた」と聞いていたシステム開発が進んでいないことがわかり、仲間たちと泊まり込んで対応したところだ。スマホを差し出して「このビルの前で、写真を撮ってくれませんか」と微笑んだ。撮影後、またビルの2階の1室を凝視する。

 仕事の面白さを知った日比谷の街から、事業開始の渋谷へ。空間を『源流』がつないでくれた。思わず「ありがとうございます」との言葉が出る。思い出の地へ久しぶりにくることができたことへの謝礼だったかもしれないが、別の響きもした。未熟だった自分を見守ってくれ、IT分野の起業家へ送り出してくれた人。この1月に77歳で急死してしまった千種さんへの、感謝の言葉のように聞こえた。

 昨年暮れ、大企業の出資も得て「デライト・ベンチャーズ」という名の投資ファンドを拡充した。そこから、DeNAを超えていくような新しい会社が、生まれてほしい。

 ここまで何度も空回りや挫折もしたが、ずっと一生懸命だったことは確かだ。そこに、自分の可能性を信じてくれた千種さんがいた。自分も、起業を目指す若者たちにとって、同じ存在でありたい。渋谷の街で、千種さんの応援の声を聴いた。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2023年6月26日号