■「悔しい」という感情
昔は「あの役者はあんな大きな作品に出ているけれど、自分は出ていない」「あの人は知られているけれど、僕は知られていない」と誰かと比べてしまうことも多く、ものすごくコンプレックスに感じていたこともあります。けれど、「悔しい」という感情は、誰かと比べている時にしか生まれない。レベルの低い悩みだったんですね。
「すべての悩みの原因は対人関係にある」という概念が、アドラー心理学の根底にありますが、その通りだな、と。他人のことを気にしなければ「悔しい」という気持ちを抱くこともなく、「まだまだ知られていない」といった事実に対してもいまは冷静に、真摯に受け止めることができるようになりました。
――かつて心理学を学びたいと考えていただけあり、「自分の心を解き明かしたい」という気持ちが強いのだという。
山田:撮影現場でも、プライベートでも周囲と何げない会話のやりとりはありますが、自分と対話する時間が多いです。内省する習慣は若い頃からずっとあって、それは必ずしも良いことではないのかもしれないけれど、そんな性格なのだから仕方がないな、と。両親からは「頭で考えろ」と言われて育ちましたし、そうして自分の心を育んできたのだと思います。
自分の内面を人に話す機会が少ないせいか、「山田くんはこう思っている」と他者に悟られることなく過ごしているので、こうした取材の機会をいただくと、言語化できるからありがたいな、といつも思うんです。
いま僕は、「いつ台本を覚えているのだろう」と自分でも思うほど時間に追われる毎日を過ごしていて、「自由に生きられてないな」と感じることがあります。でも、「ご飯を食べることができているな、ありがたいな」「生きているな」と実感できるようになった。ある意味、自分が不自由であるからこそ、違ったところに目を向けられるようになったのかな、と思います。
(ライター・古谷ゆう子)
※AERA 2023年6月12日号