こんな夢を見た。
戦争の気運が遠のき、何やら世の中がかまびすしい。海軍は軍縮をせまられた。新聞が初めて100万部を突破した。そんな時代に、日刊ではなく、月に一度、あるいは10日に一度、様々な言論をのせる「雑誌」というメディアが誕生していた。
百年前の大阪にいる。
まだ大阪に社の中心があった朝日新聞社で、10日に一回発行される「旬刊朝日」の準備に自分はあたふたしている。たいへんな数の注文が、刊行前から舞い込み、35万部を刷ることになった。三百余人の男女の工員をやとって、三昼夜ぶっとおしで印刷した紙面を裁断し折った。
へとへとになって創刊号を送り出すと、女の声がどこかから聞こえてきたような気がした。
百年見ていてください。
これから百年の間こうして見ているんだなと、腕組みをしながらその題字を眺めていた。
そのうちに女の声のとおりに、あたふたと記者と編集者が記事をつくってゲラ刷りを点検し、「よし」の編集長の一言で校了し、雑誌がまた出た。
二つと自分は勘定した。
三つと勘定したときに京大の法学部の教授の書いた「貞操に関する婦人問題の法的考察」という記事が出た。裸婦の絵を中央に配したその記事では、「姦通罪が適用されるのはなぜ女性だけなのか」という問題を論じていた。
当時の刑法では、結婚している夫婦で不倫をした時、罰せられるのは妻だけだった。夫が他の女と通じても罰せられず、妻を寝取った男も罰せられない。これは不公平ではないのか、という議論について、教授の見解を、古今東西の姦通罪の歴史をひもときながら論ずるのである。
<古代メキシコに於ては、姦通せる妻の耳及び鼻を切り、ペルーに於ては妻及び相姦者を共に死刑に処し>たが、グアテマラにおいては、妻に対しては夫は何ら制裁を加えない権利があり、その権利を行使すると<非常に尊敬せられた>。
その教授は、男性に姦通罪をかすのではなく、そもそもこの姦通罪自体をなくして、不貞行為では、民法で、損害賠償を得られるようにすればよい、という結論をだしていたが、この2回の連載は、新聞では絶対にとりあげることのできない、「不倫」の是非について具体例をあげながら論じて、これがまた読者を増やすことになった。