チェッカーズで印象深いのが、4thシングルの「星屑のステージ」(84年)。デビュー曲からのアップテンポな流れから一転、藤井フミヤの歌声が最大限に活かされた美しいバラード曲の誕生で、グループの楽曲の幅と人気はさらに広がった。売野さんは言う。
「(作曲の)芹澤廣明さんとしても、流れとしてここでバラードを出すことで、チェッカーズの人気を決定的なものにするというねらいがありました。サザンオールスターでいう『いとしのエリー』と同じ位置付けです」
「星屑のステージ」の世界観について、「いろんなところで話しているエピソードですが」と前置きしながら解き明かす。
「ちあきなおみさんの『喝采』、あれのチェッカーズ版を書いてほしいというものでした。大切なひとがこの世を去ったけれども、今日も私はいつものように歌う。そういうイメージをふまえ、組み立てていった感じです。はじめは次のシングル用のものと言われていなかったので、たいしたプレッシャーもなくかけた記憶があります」
売野さんといえば、中森明菜の一連のヒット曲の作詞でもよく知られている。その中のひとつが2枚目のシングル「少女A」(82年)だ。
「デビュー曲が来生えつこさんと来生たかおさん姉弟のバラード『スローモーション』で、そういった路線を続ける可能性も大きくて、『少女A』のような曲が明菜さんに必要だという概念がなかった。たしかアルバム用の曲のコンペとして書いたもので、たまたまああいう詩が書けて、書いてみたらサウンドもすごくロック的なものに仕上がった。『少女A』というタイトルも強力でいい、セカンドシングルはこれだという意見と、反対する意見で対立があり、明菜さん本人もはじめは乗り気じゃなかったようですね。とにかくタイトルがすべてのようなところもあって、あのタイトルじゃなかったら、セカンドシングルどころか採用もされていなかったかもしれません。タイトルが最初に浮かぶことは多いです」