1971年8月 写真提供=(株)アン・ヌフ
1971年8月 写真提供=(株)アン・ヌフ
1971年8月 写真提供=(株)アン・ヌフ
1971年8月 写真提供=(株)アン・ヌフ

「映画は監督の作品なので。あれはもう本当に、個人賞、もう付録みたいなもので」

 本作で小栗康平監督から「セリフに感情を乗せると浅いものにしかならないので感情を乗せないほうがいい」と言われ、内へ内へと向かい、掘り下げる表現を求められた。現場ではその意味を掴みかね、食事も喉を通らずノイローゼ状態に陥った。岸部にとって小栗は、今でも最も尊敬する監督であり、この時の経験が俳優という仕事の礎になったという。

「要するに、心の中をちゃんと作れないとダメだということですよね。日常生活でも、言葉で伝わらない、置き換えられない気持ちの動きみたいなものがある。言葉として、セリフとして発する前の、体の中に、心の中に残っている状態のほうが深いんだ、と。そこを大事にしないといけないよと言われたことは、今でも残ってますね」

 90年代に入ると年4~6本のハイペースで映画に出演していく。今回のインタビューに際し、岸部の出演作を振り返ってみたが、筆者が過去に見て印象に残った作品の驚くほど多くに岸部は携わっていた。

 オファーを引き受けるかどうかは、監督や脚本によるところが大きいという。

「でも、これは好みもあるんでね。自分の考え、思い、感性みたいなものでこれはいい作品だなと感じるかどうか。監督が何を撮りたいのか。それが当たるとか当たらないとかあんまり関係ないですね」

「死の棘」以来の主演作となった「いつか読書する日」(2005年)では青木研次の脚本に惹かれ、緒方明監督の「自分の撮りたいもの、自分の思ういい作品を誠実に映画にする」姿勢に敬意を抱いたという。

「顔」(00年)、「大鹿村騒動記」(11年)、「団地」(16年)など、阪本順治監督作品も多い。

「映画はやっぱり面白いと思う。テレビも向田(邦子)さんの『阿修羅のごとく』(79年~)とかね、好きなものがたくさんあるけれども。テレビは日常の延長線上で時代を映していますよね。映画は若いころに見たものを何年か経って見てみたら、違う解釈で見ていたことに気付く。それが面白い。新しい発見というか、そのころにはわからなかったことがありますからね」

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