■「社会復帰」と俳優修業の日々
当時、岸部を心配した沢田が、人づてに自分が使っていないマンションを無償で貸した逸話もファンの間で知られている。「できて間もない中野ブロードウェイの高級マンション。ガードマンが常駐していて、屋上にプールがあって、お隣は青島幸男さん。毎日毎日、プールで子どもとプカプカしたり、ブラブラブラブラ……。『タイガースのリーダーは優雅ね、やっぱり』なんて言われて。ただ、ちょっと管理費がねえ、月4万以上した。後で沢田に『高いよ』って言ったけど(笑)」
仕事に恵まれないこの時期が岸部にとって「社会復帰」の時でもあり、俳優としての土台にもなった。NHKのドラマ人間模様「続 事件 海辺の家族」(79年)に起用された時、「どうやって俳優の勉強をしたらいいか」と岸部が尋ねると、脚本家の早坂暁は「一日中バスに乗ってずっと人を見ていればいい。僕はそうしているんだ」と答えたという。
「久世さんは、ドラマの中で台所仕事みたいな日常を本当にやる人。新人の女の子がどうにも芝居ができないってなったら、ベテランの加藤治子さんが代わりにやって見せてくれたり。それをみんなも最初からずっと見ているので勉強になる。『技術的な芝居なんかしなくていい』って、まあ本当は僕ができないから言ってくれていたんだと思うけど、素のままで一生懸命やればいいんだと。そういう優れた人たちの中で出発できたのは恵まれていました」
「良質なドラマに出る」という樹木らの方針もあり、初期こそ数は少ないものの、久世を始め、深町幸男、和田勉ら名だたる演出家の作品に出演するようになり、少しずつ俳優としての地歩を固めていった。
大林宣彦監督とも縁が深い。「時をかける少女」(83年)以来、映画では一番多く起用された。余談だが、「時を~」で原田知世の相手役・深町一夫を演じた高柳良一は慶應義塾高校出身で、瞳みのるの教え子だ。
岸部のキャリアは、映画「死の棘(とげ)」(90年)をおいては語れない。日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞した、メルクマール的な作品だ。