■樹木との出会い 赤ん坊の世話も
「いや、それも別に直接会って言われたわけじゃないからね。大野さん、井上さんみたいに才能があるわけでもない。音楽に対して自分は何かやってきたかな、作曲とか、アレンジができるのか、そういう勉強をしてきたのか。考えてみれば自分は女の子にモテたいぐらいのところから始めたんだけどね」
たまたま運良く人気が出てここまで音楽を続けてこられたが、こんなことでいいのだろうか。
「気付かなきゃいいんだけど、気付きだすともう、やめたくなるのよね。『やめるんだったら、いつがいいのかな』なんて思いながら、1年ほどね」
逡巡の時代、演出家の久世光彦のすすめで出演したのがドラマ「悪魔のようなあいつ」(75年)だ。荒木一郎演じる冴えないバイク屋の主人の借金を取り立てるチンピラ・左川を演じた。
当時TBSの久世光彦の演出には瞠目した。
「左川たちが路地みたいなところで立ちションベンをする。すると『溜めといてくれよ』って。本当におしっこしながらセリフを言ってって言う。で、本番でセリフが終わって、出すものも終わって歩いていくって、確かにそうなんだけど、セリフとの寸法が合わないわけ。テストまで我慢して溜めた分だけ出ちゃう(笑)。それで終わるまで撮ってる。今では考えられないですよね」
「人前でしゃべるより黙っているほうが好き」という岸部が、この世界で60年ほどを過ごしてこられたのは、いつも人との縁があったからだという。
久世のすすめで樹木希林の事務所「夜樹社」に入り、俳優としてのスタートを切った。
「希林さんと大楠道代さんの面接を受けた。『あなたに合う役があったらお願いするけれど、うちは生活のために仕事取ってきたりは一切しない。それでも大丈夫?』『はい』なんて話をして。本当に何年か、ほとんど仕事はなかったですね」
結婚して、子どもも生まれたばかり。渡辺プロ時代は入っただけ使うような暮らしだったので蓄えも雀の涙だった。家賃の安い住まいに引っ越しを続け、「ぜいたくをしない、友だちとも会わない」と生活を切り詰めた。赤ん坊の世話もよくした。
「朝5時に起きてね。でも海の向こうではジョン・レノンも同じことをやってると思えばちょっとカッコいいかなと思ってましたね」