――失ったけど増えた。
なかったものを許せるようになったというか。自分にはわからなくなったわけですから。人に任せること、きちんと伝えることも大事になったし、失った分、増えたものもたくさんあるなと思いました。
群発性頭痛に関してはただ単につらいだけなので、増える減るもないですけど。ただ、自分なんかよりもっと苦しい生活をしている人はたくさんいて、そういう人たちも精いっぱい生きているわけじゃないですか。ましてや自分はミュージシャンとして生活できていて、すごく幸せだと思うんですよね。なので、群発性頭痛はそういった思いで乗り越えていこうと思っていますけど……。ただ、ほんとつらいんで(笑)。小人が目の裏をね、こう針でずっと突っついている感じなんです。
――想像しただけで気絶しそうです。
本当にでも、それぐらい痛いんですよ。初めて発症したとき、フォークでずっと太ももを刺していましたから。それぐらい、もうどうにもならない痛み。頭痛薬も効かない。ようやく頭痛クリニックを見つけて、いろんな最先端の治療を受けるようになりましたけど、それまではただ単に耐えるだけだったからつらかったです。今は発作がきてもなんとか抑えられるようになりましたね。
――病院にたどりつくまで、不安だし怖いしつらいですよね。
公表して、治療を受けてよくなったことで、群発性頭痛で悩まれている方からDMをたくさんいただくようになったんです。自分が受けている治療方法を教えてあげられるようになりました。それに、「たかが頭痛で仕事を休むなんて怠慢だ」って思われがちなんですけど、あの痛さって本当にすごいんです。それを知らせることができたのは、ちょっとは悩んでいる方の助けになれたのかなと思います。
――昨年夏には休養を発表し、今は少しずつお仕事を再開しています。お休みされていた期間はどんなふうに過ごされていたんですか。
ただそこに椅子をおいて、日なたぼっこして、という感じです。コロナ禍で僕らすごく頑張っていたんです。SNSやYouTubeでいろんな配信をしたり、コロナ後にも残せる新しいコンテンツを発明しようとオンラインライブをしたり。普段の生活よりも忙しく働いていたせいか、コロナが落ち着いた頃にがくんとメンタルを崩してしまって。最初はただ単にだるいだけかなと思っていたんですよ。寝ても全然疲れが抜けなくて、起きるのがつらいことってあるじゃないですか。それのひどい状態なのかなと整体に行ったり、はりを打ったりしたんですけど、全然良くならなくて。あるときベッドから一歩も動けなくなってしまったんです。
それで、病院に行ったら「燃え尽き症候群ですね」ということを言われて。ただ、ひょっとしたらずっとそういう状況だったんじゃないかな、とも思ったんです。デビューして16年目なんですけど、この15年間で1カ月も休んでいなかったんですよ。年に何日かしか休んでいなくて、そりゃそうなるよね、と。仕事をセーブすることで自分というものを振り返れたし、こうして書籍を出すことができたのも新しい経験を積めるチャンスだなっていうか。
――自分と向き合うこともできたんですね。
エンターテイメントっていうものを見直すこともできたんですよね。かつては、THE BLUE HEARTSや尾崎豊のようなミュージシャンが、本当につらい生活をしている人たちを救っていたと思うんですよ。昨今はエンターテイメントがすごく増えて、そういった人たちがどこに集まっているのか、何に救いを求めているのかを探究できていなかったんですよね。療養することで、そういう人たちがどこに助けを求めているのかを調べることができたり、そういうふうに時間を使ったりしました。