――今回、AERAでは「本と映画」を特集して、山口さんにもご登場いただきました。思い出深い本の一つに、パウロ・コエーリョの『アルケミスト』を選んでいますが、初めて読んだのはいつですか。
音楽でやっていくか迷っている時期があって、そのときです。デビューが26歳で、東京に出てきたのが30歳とかで、すごい遅かったんです。本当にプロとして生きていけるのか、葛藤の時期が他のミュージシャンよりすごく長かった。
僕、北海道の小樽出身なんです。東京にいるとなんとなく夢を追い続けられると思うんですけど、地方にいると年齢的なことであったり、「いつまでふらふらしているんだ」みたいなことを言われがちで、すごく悩んでいた時期がありました。そのとき、すごく大切にしている友人が『アルケミスト』をプレゼントしてくれたんです。僕が悩んでいることを察知してくれたわけではないと思うんですけど。生活の作用として起きていくことが運命に近づいているというか、自分のなかで起きているいいことも悪いことも必要なものなんだって感じる内容で、もうちょっと音楽を続けてみようかなって思えるようになった。今も大切な一冊です。
以前、テレビ番組でこの本が好きだって紹介したことがあったんです。そうしたら、パウロ・コエーリョからツイッターでDMがきて。すごいありがたかったです。
――それはうれしいですね。ちょうど今、『アルケミスト』を読みはじめたところなんです。
これから読まれていったらわかると思うんですけど、「あのときのあれは自分にとっての善作用だったのかなぁ」って思えるというか。すごく悩まれているときであったり、自分の人生について考えているときがあるなら、きっとそこにうまく滑り込んでくる本だと思います。
■突発性難聴で「耳が増えた」
――読み進めるのが楽しみです。山口さんは突発性難聴と群発性頭痛を公表されていますが、病とともに生きていくなかで、生活の支えはありますか。
僕、耳両が聞こえたときは音楽に関して、本当に完璧主義者だったんですよ。一瞬のスキも妥協も許さず、全部自分が管理して、自分が納得いかない部分はなくすっていうか。ちゃんと管理したかったタイプなんです。
でも片耳がほとんど聞こえなくなって、どうしても人に頼らなきゃいけなくなった。そのときに今いるメンバーに対して頼れるようになったっていうか、任せられるようになったんですけど、「自分の耳が増えた」という感覚がありましたね。失った分、ほかに耳が増えたというか、それはすごくいい作用だったなって思いました。