──当然です。本当に面白かったもの。
「国松の、度胸があってケンカっぱやくてっていうのは私の対極にあるものなんです。斎藤さんと同じように、ああいう生き方ができたらどんなに楽しいだろうかって思いながら描いてた。でも対照的に、おとなしくて気が弱い奴も出したんです」
──メガネ君。
「そうそう、メガネ。あれは私なんです」
──『ハリスの旋風』は、菓子メーカーのハリスがスポンサーでしたね。
「当時は漫画もスポンサーがつくと少し原稿料が上がったんですよ。1ページ千円したかしないかなのが、1500円とか1300円に。条件は、ハリスっていう名前をどこかで使うってだけ。あとは何でもいいということでね」
『ハリスの旋風』の連載は約2年で終了。『あしたのジョー』のスタートは、直後の68年だった。日本漫画史上に燦然(さんぜん)と輝く金字塔だが、小学3年だった私は当初、もう国松君が読めないことへの失望のほうが大きかった。
だがしかし、後年、ジョーが「真っ白に燃え尽きる」ラストシーンをめぐるエピソードを、初めて活字にしたのは私である(と思う)。詳しくは拙著に譲りたいが、もちろん、今回もジョーについて話してもらった。
■一度断っていた梶原氏とのペア
──国松君を留学させちゃったのは、ジョーの連載が決まっていたから?
「いや、ハリスの旋風の後のほうで、ボクシング部が出てくるんですよ。それで私はあちこちのボクシングジムに取材に通っているうちにこの世界で描けそうだな、と。そういうの、初めてでした。いつも連載が終わった後で次のを考えてたんで。
それで、さあ本格的な準備だって時に、マガジンの担当者が、梶原(一騎)さんと組まないかって言い出した。一度は断ったんですよ。噂を聞いてたから」
──悪い噂?
「いやいや、非常に厳しい人だと。原作のセリフを一言一句変えたら許さん、みたいな。私は原作付きでも、ああ、この人はこういうこと言いたいんだなって感じたら、漫画ではこういう表現をしたほうがわかりやすいぞって考えちゃうほう。だけど会わされちゃったんですよ。
じゃあ会って断ろうと思ったら、梶原さん、いきなり手を差し出してきて、よろしくって。私は気が弱いから。ええ~っ、でもまあ、しょうがないかなと。斎藤さんはお会いしたこと、あるの?」