──赤塚さんはもういません。最近だけでも、松本零士さんやさいとう・たかをさんたち、漫画家が、次々に亡くなっている。読者としても寂しい限りです。
「松本さんとは、彼が詰め襟を着ていた頃からの付き合いです。私が一つ下。高校を出て単行本を描いたりもしたんだけど、後が続かず、先輩の手伝いをしているところでばったり出会った。若い頃はよく、旅館で一緒にカンヅメにされてました」
──さいとう先生のお別れの会でも、ちばさんは弔辞を読まれていました。
「もう30年も前だったか、手塚治虫さんのお葬式の時に、誰ともなく、漫画家がみんな早死にするのは座り仕事で運動不足だからだ、ひとつゴルフでもやろうじゃないかって。たかをちゃんとはそこからです。石ノ森章太郎、藤子・F・不二雄、つのだじろう、園山俊二……。15、16人もいたろうか」
■当時珍しかった三枚目の主人公
──「イージー会」でしたね。
「ゴルフ場との交渉その他、セッティングは自分でやるのが決まりでした。仕事が忙しいからって休むようだったらもう即、クビ(笑)。でもそのうちだんだん、やっぱりこういうのはマネジャーに任せたほうがいいって。おかげでいまだに続いてるんですよ。コロナで休んでましたけど、この前、さいとうさんや藤子不二雄Aさんを偲ぶ意味も込めて、また集まりました」
ちばさんには今回、特に詳しく伺いたい作品があった。『少年マガジン』に連載されていた当時の少年少女なら知らぬ者がないであろう、あの痛快な学園漫画である。
──今回は『ハリスの旋風』のお話を伺いたいんです。僕が小学校に入った年(65年)に始まって、すごく影響された作品なので。
「どういうふうに?」
──私蔵の初版本を持ってきました。たとえば最終の第8巻で、ハリス学園中の生徒が国松の退学処分を取り消せと創立者の孫に迫り、晴れて復学してきた彼を胴上げで迎えたシーン。こんなふうに愛される男の子になりたい!と強烈に思いました。なれませんでしたが。
「ハハハ。あれはね、それまでの漫画の主人公って、だいたいカッコよくて頭もよく、スポーツ万能だって決まってたんですよ。私も描いてましたけど、そういうのよりも、脇で、主人公の足を引っ張ったりする三枚目の、バカだなこいつっていうような奴のほうが、わかる、わかるって、親しみを込めて描けるわけ。
で、編集さんに提案したの。そっちを主人公にしたのをやらせてほしい、人気が出なければすぐ止めますからって。そしたら最初から人気が出ちゃったんですよ(笑)」