ちば・てつや/ 1939年、東京生まれ。両親とともに旧満州・奉天(現中国遼寧省瀋陽)に渡り、終戦の翌年、中国から引き揚げる。日本大学第一高等学校在学中の56年に漫画家デビュー。代表作に社会現象ともなった『あしたのジョー』のほか、『おれは鉄兵』『のたり松太郎』などがある。公益社団法人日本漫画家協会会長(撮影・工藤隆太郎)
ちば・てつや/ 1939年、東京生まれ。両親とともに旧満州・奉天(現中国遼寧省瀋陽)に渡り、終戦の翌年、中国から引き揚げる。日本大学第一高等学校在学中の56年に漫画家デビュー。代表作に社会現象ともなった『あしたのジョー』のほか、『おれは鉄兵』『のたり松太郎』などがある。公益社団法人日本漫画家協会会長(撮影・工藤隆太郎)
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 きな臭い話題が増えてきた世の中。あの戦争を知る世代は、今の状況をどう見ているのか。中国からの引き揚げ経験を持ち、『ハリスの旋風(かぜ)』『あしたのジョー』などで知られる漫画家のちばてつやさんに、ジャーナリスト・斎藤貴男氏が名作の制作秘話とともにインタビューした。

【写真】少年時代を描いた絵画を手にするちばてつやさん

*  *  *

──『ビッグコミック』で連載されている「ひねもすのたり日記」で、どこか手術されたと知って、心配しておりました。

「私は麻酔から目が覚めると、なんかこう、キラキラキラッて、幻影が見えるんですよ。今度もそんなふうだったけど、違った。集中治療室のテレビがついていて、ピカピカ、ドドーン、パァ~ッて、まるで花火。ロシアがウクライナに侵攻した日だったんです。だから1年と少し前ですね。ちょっと参りました。体重もがくって減って。だけど、だいぶ回復してきました」

『あしたのジョー』『おれは鉄兵』など、数々の名作で知られる漫画家のちばてつやさん(84歳、本名・千葉徹彌)に会った。初対面ではない。最初は30年も前、『あしたのジョー』の原作者だった故・梶原一騎さんの評伝を書くための取材だった。

 2度目は2016年、エッセイ集に私自身の漫画体験を盛り込みたくて、『紫電改のタカ』の話題を中心に。『AERA』の「現代の肖像」で、彼の人物ルポを試みたのが17年だ。

──実は『週刊朝日』が、5月末に休刊してしまうんです。

「週刊朝日には嬉しい記憶があるなあ。日中の国交が正常化して間もない頃、満州からの引き揚げ体験を持つ漫画家が、中国を訪ねる旅をしたんです。団長が赤塚不二夫さんで、副団長が私。私は引き揚げた時の一家6人全員で参加した。その時の写真を、週刊朝日が、グラビアで大きく取り上げてくれたんですよ」

──住んでいたお家なども訪ね歩かれた、とか。

「私の場合、父が働いていた印刷会社が残ってた。すぐそばにあった社宅に、両親と、3人の弟たちと住んでいたんです。

 満州には辛(つら)い思い出がありますね。敗戦の玉音放送があった日の夕刻、社宅の塀を、暴徒化した中国人たちが続々と乗り越えてきたのは恐ろしかった。真っ暗闇の中で、社宅の仲間たちともはぐれてしまい、途方に暮れていたところに、父の元部下で、家族ぐるみで親しくしていた徐集川(じょしゅうせん)さんに巡り合った、奇跡のような幸運が忘れられません」

 ちばさんは1939年の東京生まれ。2歳から7歳までを現在の中国東北部にあった奉天(現在は瀋陽)で過ごした。

 一家は徐さんに匿(かくま)われて生き延びた。息を潜めるように暮らした屋根裏部屋で、6歳だったちばさんは絵を描き、お話を作っては、弟たちに読み聞かせた。ちば漫画の、それが原点となった。

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