きな臭い話題が増えてきた世の中。あの戦争を知る世代は、今の状況をどう見ているのか。中国からの引き揚げ経験を持ち、『ハリスの旋風(かぜ)』『あしたのジョー』などで知られる漫画家のちばてつやさんに、ジャーナリスト・斎藤貴男氏が名作の制作秘話とともにインタビューした。
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──『ビッグコミック』で連載されている「ひねもすのたり日記」で、どこか手術されたと知って、心配しておりました。
「私は麻酔から目が覚めると、なんかこう、キラキラキラッて、幻影が見えるんですよ。今度もそんなふうだったけど、違った。集中治療室のテレビがついていて、ピカピカ、ドドーン、パァ~ッて、まるで花火。ロシアがウクライナに侵攻した日だったんです。だから1年と少し前ですね。ちょっと参りました。体重もがくって減って。だけど、だいぶ回復してきました」
『あしたのジョー』『おれは鉄兵』など、数々の名作で知られる漫画家のちばてつやさん(84歳、本名・千葉徹彌)に会った。初対面ではない。最初は30年も前、『あしたのジョー』の原作者だった故・梶原一騎さんの評伝を書くための取材だった。
2度目は2016年、エッセイ集に私自身の漫画体験を盛り込みたくて、『紫電改のタカ』の話題を中心に。『AERA』の「現代の肖像」で、彼の人物ルポを試みたのが17年だ。
──実は『週刊朝日』が、5月末に休刊してしまうんです。
「週刊朝日には嬉しい記憶があるなあ。日中の国交が正常化して間もない頃、満州からの引き揚げ体験を持つ漫画家が、中国を訪ねる旅をしたんです。団長が赤塚不二夫さんで、副団長が私。私は引き揚げた時の一家6人全員で参加した。その時の写真を、週刊朝日が、グラビアで大きく取り上げてくれたんですよ」
──住んでいたお家なども訪ね歩かれた、とか。
「私の場合、父が働いていた印刷会社が残ってた。すぐそばにあった社宅に、両親と、3人の弟たちと住んでいたんです。
満州には辛(つら)い思い出がありますね。敗戦の玉音放送があった日の夕刻、社宅の塀を、暴徒化した中国人たちが続々と乗り越えてきたのは恐ろしかった。真っ暗闇の中で、社宅の仲間たちともはぐれてしまい、途方に暮れていたところに、父の元部下で、家族ぐるみで親しくしていた徐集川(じょしゅうせん)さんに巡り合った、奇跡のような幸運が忘れられません」
ちばさんは1939年の東京生まれ。2歳から7歳までを現在の中国東北部にあった奉天(現在は瀋陽)で過ごした。
一家は徐さんに匿(かくま)われて生き延びた。息を潜めるように暮らした屋根裏部屋で、6歳だったちばさんは絵を描き、お話を作っては、弟たちに読み聞かせた。ちば漫画の、それが原点となった。