一方で、内視鏡検査で肛門から2センチ上の直腸に初期がんが見つかった。2度目の手術も諏訪中央病院で受けることに決め、転院することになった。12月に実施した手術で、直腸とその上部にある虚血性腸炎による腫脹部分を切除。肛門を閉鎖して人工肛門(ストーマ)を造設した。

 手術前に発症した急性胆嚢炎の影響で、術後も40度近い熱が続いた。合併症として感染が起こる可能性があることを理由に、手術後の痛み止めに使われる麻酔が中止された。高橋さんは全身の激しい痛みに何日も苦しんだ。毎晩、眠ろうとしても眠れず、天井を眺めているだけだった。トイレに行こうともがきながら起き上がると、窓際に白いベッドがぼんやりと浮かび上がった。

「どこかで見たことがあると思ったら、スイスの自殺ほう助組織『エグジット』の施設内で見た、死に逝く部屋のベッドでした。14年、僕は仲間とともに自殺ほう助が合法化されているスイスや、安楽死が認められているオランダを訪れました。自分が不治の病気に侵され、苦痛の限界に達した時にどうするのか。安楽死の選択はあり得るのか。そんなことを考える旅でした。幻覚を見たのは身体的な苦痛に加え、恐怖や不安感から精神的に参ってしまったからです。自死が頭をよぎりました」

 翌日、精神科の医師の診察を受けると「反応性うつ病」と診断されたという。術後4日目の未明にはこんなアクシデントに見舞われた。深夜2時ごろ、睡眠剤を服用して眠りについたが、明け方になって下半身に冷たさを感じて目が覚めた。

「触ってみると、ものすごい量の便でした。2カ月近くまともな排便がなかったため、便の圧力がストーマの袋を破って一気に流れ出たのです。夜勤の看護師さんたちが『あ、出たわね』と言いながら手際よくきれいに処理してくれました。この時、僕は30年前に死んだ父のことを思い出しました。父は亡くなる10日ほど前に便秘が続いたため、浣腸してもらい便が山のように出たのです。処理をしてくれている看護師さんに『ごめんね。臭いだろう。これがホントの糞坊主って言うんだよ』と笑った。僕にも同じことが起きたんです」

 22年元日に退院し、京都の自宅に戻った。2月以降、徐々に日常生活を取り戻していくと旺盛な活動意欲が蘇った。8月には、かつてHIV感染者の就労支援などに携わったタイ・チェンマイ郊外のファリン村を訪問。人口6千人ほどの小さな村だが、高齢化が問題になっていた。

「ファリン村で日本の訪問介護やデイサービスのような事業ができないかと考え、現地のパートナーであるファリン寺の住職と介護戦略について話し合いました」

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