2011年8月、神宮寺で震災と原発事故について語る高橋さん
2011年8月、神宮寺で震災と原発事故について語る高橋さん

 寺が家業化しているとして世襲批判も展開。高橋さんは2018年5月、神宮寺の住職を退職し、フリーランス宣言。寺を血縁関係のない当時の副住職に託し、妻の実家がある京都に拠点を移した。

「いのち」と向き合い、社会活動にも積極的に関わった。日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)事務局長として、原発事故後の医療支援活動に携わった。子どもの甲状腺がんや白血病の治療などが目的で、信州大学医学部附属病院の医師に協力を呼びかけ、1991年から96年までの間に36回にわたって現地入りした。

 高橋さんは、今度はがんと闘いながら日々どんなことを考えているのか。

 血便や便秘などの症状が表れ、S状結腸がんが見つかったのは21年3月。京都府内の病院で大腸内視鏡検査を受けて発見されたが、手術はこれまで通い慣れた諏訪中央病院(長野県茅野市)で受けることにした。医師からは「ステージ2のがんで取ってしまえば問題ない」と言われ、安心していたという。実際に腹腔鏡手術を行った後、わずか1週間で退院できた。

■絶食17日も無効 コロナで孤独感

 その後、順調に回復したが、10月半ばにひどい便秘に苦しめられた。病院で処方された下剤も効かない。便が出ない代わりに、腸液だけが排泄される状態だった。

「CT検査を受けると、S状結腸がんを取って吻合した部分の下から13センチほどの腫脹(腫れ)が腸管を塞いでいることがわかりました。わずかな隙間が腸液の通り道になっており、便はそれより上にぎっしりとたまっている状態でした。病名は虚血性腸炎で、持病の糖尿病で虚血を起こし、腫脹を生んだと考えられるそうです。多くは一過性なので、絶食で腸を休ませることになりました」

 だが、17日間の絶食を経ても、腫れは改善しなかった。67キロあった体重も、53キロまで減った。

「寝ている間も腸液は失禁状態でした。点滴のスタンドをガラガラと引きずりながら、オムツにパッド、ティッシュペーパーを抱えて1日に30回以上トイレに行く始末でした。病室のベッドや床を汚すのは本当に情けなかった。そんな状態が続いて気が滅入りました。新型コロナの影響で面会はできず、妻が来ても着替えを置いていくだけ。松本から息子や孫が8時間かけて見舞いに来ても結局会えず、駐車場から電話をかけてきて『じいじ、頑張って』と。孤独感に苛まれました」

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