司馬遼太郎が<須田剋太という人格と作品に出会えるということのために、山襞(やまひだ)に入りこんだり、谷間を押しわけたり、寒村の軒のひさしの下に佇んだりする旅をつづけてきた>と書けば、須田剋太もそれに応えるように、17歳年下の作家について語る。
<道元に、同事ヲ知ルトキ自他一如ナリ、という言葉がありますけれど、いっしょに仕事をしておりますと、心が深い所で響きあって、自他の区別がなくなる、そういう瞬間を、おこがましいけど司馬さんにある時ふっと感じるんです>
作家と画家──これもまた、週刊誌ならではの味わい深いマリアージュである。そういえば、『新・平家物語』の吉川英治も、挿画の杉本健吉を<思えば、よい女房を持ち当てたものです>と讃えていたのだった。
■いまなお現役の『街道をゆく』
ちなみに須田剋太の訃報を受けた1990年8月3日号の『ブラック・アングル』は、画伯の筆致を真似て描かれた。絵師ならではの追悼である。
登場したのは、共産党中央委員会議長の宮本顕治──80歳を超えてなお議長職を続けることに、山藤さんはチクリと<居座り街道をゆく>。あはは。しかし、須田剋太の力強いタッチで描くに価する政治家、最近はもう、いるのかどうか……。
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没後27年たっても、司馬遼太郎は「週刊朝日」の看板作家である。
なにしろ、データベースで調べられる2000(平成12)年以降だけでも、本文と見出しで「司馬遼太郎」を検索すると、1077件もヒットする。同じ条件で検索をした「松本清張」が53件だから、その現役感のスゴさがおわかりになるはずだ。
実際、『街道をゆく』にまつわる連載が切り口を変えつつ連綿と続き、それがまとめられたムックも、書店の新刊コーナーをにぎわせている。『街道をゆく』の現在形はダテではない。やはりこれは、永遠に「いま」の連載なのだろう。
さて、こちらの短い連載は、次号で最終回である。締めくくりには、山藤章二さんのもう一つの大事な連載『似顔絵塾』にご登場いただくことになる。乞うご期待──。
残り1回。編集部から「お礼のボーナスを」との申し出はない。そういう「いま」なのである。ベトナム料理でも食って帰ろう。
※週刊朝日 2023年5月19日号