司馬遼太郎
司馬遼太郎
この記事の写真をすべて見る

「週刊朝日」は一流の作家を取材に連れ出し、鮮やかな「いま」を読者に届けた。「『週刊朝日』を賑わせた文芸企画たち」第2回では、文学史に残る連載企画──開高健『ずばり東京』にはじまるノンフィクション文学の誕生秘話と、いまなお現役として輝く司馬遼太郎『街道をゆく』の魅力に作家の重松清さんが迫る。

【写真】1964年の東京五輪の閉会式を見る若かりしころの開高健さん

*  *  *

「週刊朝日」は1922(大正11)年に、当初は10日に一度の旬刊誌として創刊された。その志について語った、初代編集長の言葉が残っている。

<『週刊朝日』は今日の時代に必要なる知識と慰楽とを最も消化しやすい形に整理して読者に提供するものであります>

「いま」を知り、「いま」を楽しむための雑誌ということだ。

 確かに、最新の「いま」を伝えるニュースは、週刊誌の華である。「週刊朝日」の歴史も、数々のスクープ記事で彩られている。たとえば、作家・太宰治が情死した直後に発行された1948(昭和23)年7月4日号は、ほぼ全ページを使って心中相手の山崎富栄の手記を載せ、17万部を2時間で売り切ったという。

 しかし、ニュースとはNEWS──翌週にはもう古びてしまい、新しいものへと不断に更新されなければならない。

 もう少し腰を据えて「いま」と向き合うには、連載という長期的な器が必要になるし、切り口の工夫も欠かせない。

 というわけで、前回に続いて、黒メガネのブラック氏のお出ましである。

『ブラック・アングル』の最終回が載った2021(令和3)年12月3日号には、山藤章二さんの近況を報告しつつ、連載当時を振り返る担当編集者の記事もあった。

 それによると、山藤さんは、10年ほど前から「最近の政治家の顔を描く気がしないんだよ」と口にすることが増えていたのだという。

 かつて大平正芳首相を岸田劉生の名作『麗子像』に仕立て、小渕恵三首相をイヌ型ロボットのAIBOに変身させた山藤さんである。昨今のヤワな面構えの政治家たちでは、もはや悪戯ゴコロは刺激されない。ずいぶんつまらない「いま」になってしまったのだ。

次のページ