教育改革実践家としては、文科省の官僚と比べても遜色がないほど現場を観ている自負があるし、校長や教育長にも数多く会っている。
そんな私の正直な感覚では、残念だとしか言いようがない。
学校を良くしようとして、ヒト、モノ、カネ、情報、時間という5つの経営資源を組み合わせ、子どもたちの未来を拓く攻めの「マネジメント」をしている校長は、全体の1割以下だと思う。
それ以外の9割の校長は、「教頭の大きいの」という体裁で「管理」しかしていない。忙しそうにしているかもしれないが、副校長や教頭ができる仕事を分担しているのに過ぎない。なぜか。はっきり言おう。それは、守りに徹しているからだ。
中には守りに徹し過ぎて、もはや好奇心も向上心も失せてしまった校長もいる。そういう校長には、現場から早く出ていってほしいと真剣に思う。大人のモデルとして、児童生徒の前に晒されているのが恥ずかしいからである。
攻めの「マネジメント」ができている校長と、守りの「管理」しかしない校長とでは何が違い、どこで見分けられるか?
直接会って話をすれば、すぐに判明するはずだ。あなたが、PTAの会長や地域学校協働本部の本部長だったと想像してみよう。あるいは、あなたの息子や娘がコミュニティ・スクールに通っているのであれば、学校運営協議会の委員としてでもいい。
子どもたちの未来を拓く具体的な提案を、校長に投げかけてみたとする。例えば、地域住民との文化交流会などだ。
攻めの「マネジメント」ができている校長は、その提案を「Yes, but……」の発想で聞くだろう。
「そのイベントのアイディア、いいですね。どうすればできるか考えてみましょう。でも、こうするともっと良い案になるかもしれません。まずは小さな規模で、どこかで試してみましょうか」
という会話の流れがイメージできる。
一方、守りの「管理」しかしていない校長は、その提案を聞くやいなや、できない理由を次々にあげつらう。
「いや、それは生徒が怪我をするリスクがありますね。そういうイベントでは誰が参加するかわからないから、セキュリティ面も心配です。今の時代は、個人情報保護条例も気にしなくちゃならないのでね」
というように、訳知り顔で発想が閉じていくエンディングが想像できる。
●藤原和博(ふじはら・かずひろ)
1955年、東京都生まれ。教育改革実践家。78年、東京大学経済学部卒業後、現在の株式会社リクルート入社。東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任し、93年よりヨーロッパ駐在、96年、同社の初代フェローとなる。2003~08年、都内では義務教育初の民間校長として杉並区立和田中学校の校長を務める。16~18年、奈良市立一条高等学校校長。21年、オンライン寺子屋「朝礼だけの学校」を開校する。 主著に『10年後、君に仕事はあるのか?─未来を生きるための「雇われる力」』(ダイヤモンド社)、『坂の上の坂』(ポプラ社)、『60歳からの教科書─お金・家族・死のルール』(朝日新書)など累計160万部。ちくま文庫から「人生の教科書」コレクションを刊行。詳しくは「よのなかnet」へ。