清和政策研究会との懇親の集い」で、安倍晋三元首相(左)と拳を合わせる岸田文雄首相=2022年5月17日
清和政策研究会との懇親の集い」で、安倍晋三元首相(左)と拳を合わせる岸田文雄首相=2022年5月17日
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 昨年9月27日、安倍元首相の「国葬」が行われたが、その経緯と背景に安倍政権から引き継いだ手法があったと、朝日新書『「単純化」という病 安倍政治が日本に残したもの』の著者である“物言う弁護士”郷原信郎氏が指摘する。それは、「法令に則っていること」を根拠に批判者に反論し、「多数決の力で押し切る」ことだ。その実態を同書から一部を抜粋し紹介する。

【安倍氏の国葬儀の様子はこちら】

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 1967年の吉田茂元首相の「国葬」は、閣議決定で行われ、正式には「国葬儀」と称されたが、この時は、現在の内閣府に相当する総理府の「設置法」などは全く持ち出されていない。総理府設置法には、総理府の所掌(しょしょう)事務として「国の儀式」に関する明文はなく、「前各号に掲げるものの外、他の行政機関に属しない事項及び条約、法律又は命令に基き総理府に属せしめられた行政事務を行うこと」という規定により、所掌の範囲内と解されたものと考えられる。このことからも、内閣府設置法の規定を根拠として持ち出すのは、吉田元首相の「国葬儀」の際の政府の考え方とも異なるのである。

 岸田文雄首相が、「国葬儀」について内閣府設置法を持ち出したのは、「法的根拠がない」との批判に対して、「法令上の根拠」があるように「偽装」するためのものに過ぎなかった。

 岸田首相は、「国葬儀、立法権に属するのか、司法権に属するのか、行政権に属するのか、判断した場合に、これは間違いなく、行政権に属する」と言っているが、それは、「国葬儀を実施するとすれば、司法や立法ではなく行政において行うもの」という「儀式の実施」の問題である。しかし、問題になっているのは、今回「国葬」と称するものを、内閣という行政だけで決定できるのか、ということであり、それはまさしく「国葬を行うか否かの決定」の問題である。

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国葬であるように偽装