批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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だれもが驚いた。ロシアのプリゴジンの反乱のことだ。
プリゴジンは長い間プーチン大統領の懐刀を務め、いまは民間軍事会社「ワグネル」を統括する人物。ウクライナ戦争で大きな役割を果たしたが、この数カ月ロシア国防省との対立を漏らすようになっていた。その結果6月23日についに蜂起、南部で一部基地を掌握したうえ、首都モスクワへの進軍を開始したのである。まさか内戦かと世界中が注目したが、ベラルーシのルカシェンコ大統領が仲介に入り進軍は中止、プリゴジンが同国へ出国することで一応の決着がついた。
辛くも危機を脱したが、プーチンの威信が大きく傷ついたことは疑いない。メディアではプリゴジンを支持する市民の声も流れた。ウクライナが反転攻勢を強めているいま、戦況にも影響が出るだろう。
ところで今回の騒動、政治情勢とは関係なく気になったことがある。それはSNS時代の言葉の「軽さ」だ。
ウクライナ戦争の他の事件と同じく、今回も第一報はSNSで拡散した。現地の映像や公開情報の分析が次々投稿され、それがあっという間に翻訳され広がっていった。マスコミは後を追うだけで存在感を示すことができなかった。
反乱はほぼ1日で終わった。速度感でSNSが勝るのはやむをえない。しかしSNSだけが情報源だと現実感が希薄になる。特に今回は、事件が侵略国の内ゲバであることも手伝ってか、まるでゲームを見るかのように事態の推移を「楽しんでいる」アカウントが多数見られた。反乱が収束したのは日本時間で日曜日の未明だったが、その瞬間ある小説家が「撤退か。つまんないなあ」と呟いたのは見て悲しい気持ちになった。
プーチンは悪だ。しかしプリゴジンも経歴に問題がある人物だ。ワグネルが勝利しても戦争終結の見込みはないし、モスクワで戦闘があれば市民の犠牲は避けられない。流血が避けられたのは歓迎すべきだ。
ウクライナ戦争の分析で市民の軍事愛好家が果たしている役割は極めて大きい。それだけに、戦争はゲームではなく、人の血が流れていることをつねに意識し続けたいと思う。
◎東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
※AERA 2023年7月10日号