ミャンマーで起きたクーデター後の抗議デモなどを取材したジャーナリスト・北角裕樹さん。取材中に「危ない」と思うこともあったにもかかわらず、北角さんはミャンマーの様子を取材し続けたのか。AERA 2023年6月26日号の記事を紹介する。
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伝えなければいけない──。戦場を取材するジャーナリストに共通するのは、この思いだ。
フリージャーナリストの北角(きたずみ)裕樹さん(47)は、こう話す。
「友人たちとの約束が大きいと思います」
日本経済新聞社の元記者。フリーのジャーナリストとなり2014年、ミャンマーで最大都市のヤンゴンに移住し、ミャンマー語のフリーペーパーなどを発行してきた。
21年2月1日、ミャンマーで国軍によるクーデターが起きた。当時、コロナ禍にあって日本からミャンマーへの渡航は禁止されていた。現地にマスコミが少ない中、踏みとどまりミャンマーで何が起きているのか伝えなければいけないと思った。だが、「ジャーナリスト」だとバレれば軍に狙われる危険性が高い。ヘルメットも防弾チョッキもつけず、デモを取材した。何度も「危ない」と思うことがあったが、帰国しようとは思わなかったという。
「伝えたいという思いが強かったのだと思います」
ミャンマーの友人たちは軍に立ち向かっている。彼らに比べ外国人である自分は、捕まる可能性は低い。できる限りやろう、と。だが、抗議デモなどを取材していた同年4月18日、ヤンゴン市内の自宅で逮捕された。
収容されたのは、民主化指導者のアウンサンスーチー氏も収容された悪名高いインセイン刑務所。入れられた1号棟には、スーチー氏が率いた国民民主連盟(NLD)政権で大臣だった人たちが政治犯として収容されていた。自由時間は、彼らとミャンマーの行く末について議論した。
拘束されて26日目。突然「解放」を告げられた。1号棟の政治犯一人ひとりと肩を抱き合って別れると、彼らは言った。
「日本に帰ることになったら、ミャンマーのことを伝え続けてほしい」
「約束する。必ず伝える」
そう返事した。
今なおミャンマーでは、国軍による市民への弾圧が続き、それに抵抗して闘っている友人たちがいる。その友人たちに応えるためにも、日本からミャンマーの状況を発信し続けている。
「彼らと同じことをしていたい」
(編集部・野村昌二)
※AERA 2023年6月26日号より抜粋