政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
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5月31日、北朝鮮が「軍事偵察衛星」と称する事実上の長距離弾道ミサイルを発射しました。これまでと違うのは、事前の通告があり、軌道も予測できていたことです。しかし、飛翔体はエンジン異常でフィリピンの東海上ではなく黄海に墜落。すぐに北朝鮮がミサイル発射の失敗を認める「異常事態」となっています。
弾道ミサイル技術を用いた発射は国連決議に違反しており、日本は「破壊措置命令」を発出しています。それほどリスクのある飛翔体が、北朝鮮の主張する「偵察衛星」であるとすれば、米韓の奇襲攻撃を事前に察知し、即時的に反撃できるシステムを開発するとともに、その顕示によって米韓軍への抑止力を高めようとする狙いがあるのでしょう。
ただし、北朝鮮は「衛星」の打ち上げのタイミングと予測軌道を5月29日の未明に日本に知らせ、同日午前には、北朝鮮の外務次官が、両当局間の対話に言及しています。北朝鮮は、恐らく弾道ミサイルや核兵器、さらに偵察衛星などの「国家核兵器総合管理システム」が一応整った段階で「平和攻勢」へと打って出ようとしています。その手始めが日朝交渉再開であり、その呼び水として異例の日本への通報になったのではないでしょうか。
多分、北朝鮮は、数年の在任期間を残す韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権や、来年の大統領選挙でトランプ氏再登板を阻止したいバイデン米政権を本格的な交渉相手とは想定していないはずです。北朝鮮は消去法的な見地から、岸田政権の日本との交渉をテコに、そこから米国との交渉の道筋をつけることを想定しているのかもしれません。依然としてすぐに日朝交渉再開のメドが立つとは思えませんが、その糸口らしきものが見えてきそうです。
岸田首相は、安倍元首相もできなかったことを成し遂げたいという願望が人一倍強いようです。北朝鮮に足元を見透かされる愚を避けつつ、同時に北朝鮮が交渉の席につくことができる舞台回しを作れるのかどうか。小泉内閣の時の田中均氏のような大きな図柄を描ける外交ブレーンの有無も含めて、岸田内閣の力量が試されることになるでしょう。
◎姜尚中(カン・サンジュン)/1950年熊本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、現在東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍
※AERA 2023年6月12日号