日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA 2023年5月22日号の記事を紹介する。
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2003年7月1日、富山支店長になった。かつては高い実績を出した拠点の一つだが、このとき、全国に71あった支店で下から3番目。立て直しが、任務だった。ひと月かけて県内の支社や代理店への挨拶回りを終え、驚いた。成績が、全国の支店で最下位に落ちていた。
職場は、元気がない。本社からくる多様な指示は、1人がこなせる量を超えていた。それを愚直にやって、疲弊していた。再生は容易でない。でも、「昨日より今日、今日より明日は働きがいがある」と思える職場へ、戻したい。それには、全員共通の「成功体験」を持たせるのが一番。そう、目標を決めた。
■布団の中に潜り何度も聞いた 一心岩をも通す
東京・北千住で過ごした子どものころ、町工場の経営で多忙な両親に代わり、祖母が世話してくれた。小学校低学年まで、祖母の布団の中に潜って寝た。「おばあちゃん」と呼んだ祖母は、寝物語を聞かせてくれる代わりに、心構えを説く。いくつかの言葉が、胸に刻まれた。
一つが「一心岩をも通す」。同じ意味で「一念岩をも通す」との言い方もあるが、「おばあちゃん」はこの言葉を口にした後、「いいかい、何事をするにもまずは目標を高く持ち、一度やろうと決めたことは諦めずに貫くのだよ」と加えた。ビジネスパーソン人生の『源流』となった教えだ。
新米の支店長に、再生への近道など浮かばない。何かうまくいかないと、すぐ機構や人事をいじりがちだが、それは違う。育てるための道順が、必要だ。だから、まず仕事に優先順位を付けることにした。何が優先かが決まれば、誰でも順位が高いことに取り組む。
県内の営業部隊100人に、どういう仕事をどんな発想でしているのか聞いて回り、優先させることに選んだのが生命保険の営業だ。自由化で、損害保険会社も生命保険を扱える時代になっていた。だが、営業職員も代理店も損保で稼げれば、経験の乏しい生保に手を出さない。
生保を手がけるには、一から勉強せざるを得ず、みんなが同じスタートになる。本社を説き伏せ、損保の営業を半年止めて生保販売に集中させた。毎晩、支店長室ではなく部下たちの机が並ぶ部屋で、みんなの帰りを待つ。節約のため灯りを絞った薄暗い部屋に座っている支店長をみて、戻ってきた部下たちは驚くが、慣れると雑談をしかけてくる。返す言葉に、生保を扱う意義や夢を盛り込んだ。