人生の終わりにどんな本を読むか――。小説家で歌人の錦見映理子さんは「最後の読書」に『雪の断章』を選ぶという。
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7歳の2月に、父の転勤で関東から札幌に引っ越した。どこもかしこも真っ白な雪に覆われていて、まるで別の国に来たようだった。
雪を踏むと、ぎゅっと軋むような音がした。道の両脇には、除雪車が積み上げた雪が高い壁のように聳えていた。灰紫色の空を見上げると、粉雪がきりもなく落ちてくる。雪が生まれては消えるように、自分もいつかいなくなるのだ、とその時実感したのを覚えている。
札幌は美しい街だった。遅い春が訪れるといっせいに花々が咲き乱れ、ライラックがいい香りを漂わせた。爽やかで短い夏が終わり、秋があっという間に深まると、雪虫が飛ぶようになり、まもなく初雪が降った。
私は冬が好きになった。雪が降ると、全ての音が吸いこまれたかのように静かになる。しんと静まりかえった世界でひとり、窓から外を眺めている時間が好きだった。
最後に読書をするなら、あんな風に雪を眺められる窓辺がいい。時折顔を上げて降る雪を見ながら、子どもの頃に出会った大切な本を読み返したい。
佐々木丸美の『雪の断章』は、10歳で再び転居した東京で、親友になったクラスメートが教えてくれた本だ。7歳の孤児が、兄のような男性の元で成長していく少女小説であり、ミステリーでもある。孤独な主人公の独白には不思議な没入感があって、思春期だった私は、これは自分のために書かれた小説だと思い込んだ。主人公と同じ年頃から暮らした札幌が舞台なのも、偶然と思えなかった。降りしきる雪の描写もドラマチックで、郷愁とロマンを感じた。雪は片時も同じ景色を見せない。瞬時に変わってしまう。主人公はささやかな幸せを感じるたびに、時間を止めたいと願うのだが、それは決して叶わない。
生きることは変わることなのだ。今の幸せは失われ、いつか私たちはいなくなる。だからこそ自分の中に生まれては消えようとする物語をなんとかして書き残したいと、降り続ける雪を眺めながら、きっと私は最後まで思うだろう。
※週刊朝日 2023年3月24日号