Bさんが勤務していた附属小は、特異な環境として知られていたという。
「附属小への赴任は、県や市の小学校教員のうち優秀な人に声がかかるものの、ハードさから大半は断るそうです。そんななか、やる気を持って赴任したはずのBが短期間で自殺に追い込まれたとしたら、なんて職場なのだろうと思います。どうして亡くなったのか、きちんと知りたい」
附属小は創立約150年の歴史をもち、画家の藤田嗣治などを輩出した名門校。受験や附属幼稚園からの内部進学によって入学する児童たちは、総じて「優秀」だ。
だが国立学校という性質上、一般的な公立校と比べて教員の負担は大きくなりがちだ。文部科学省の指揮下で最先端の教育を実践する「研究機関」として、授業研究や教育実習生の指導など、膨大な“プラスアルファ”の業務が発生する。A氏によると、「附属小勤務はいわゆるエリートコースで、授業スキルを磨きたい真面目な先生や、管理職を目指す上昇志向の強い先生が集まる」という。
■手作り弁当強要 異論には叱責も
これらの事情から、「非常に忙しく、先輩からは厳しい指導を受ける」のが附属小勤務の定評だが、実際の職場環境を知るC氏とD氏は、その行き過ぎた実態を明かす。
教員の間には「附属小勤務歴が長いほど偉い」という独特の文化があり、「一回り年下の同僚から怒鳴られることもある」(C氏)、「児童や保護者の前でも平気で叱責される」(D氏)。さらには、「教材室(3人でシェアする教員室)に先輩教員のお客さんが訪ねてきたら、後輩教員はその間起立していなければならない」(D氏)という不文律まであった。
またC氏によると、新人には運動会やうさぎ狩り(明治時代から続くとされる冬の伝統行事。教員と児童で野山に入り、竹の棒を打ち鳴らしながらうさぎを網に追い込む)などのイベント準備も一任され、経験のなさゆえに苦痛に感じる教員は少なくない。それでも大半は、「異を唱えるとさらに大きな叱責がある」「最初の1年さえ耐えれば、次の新人が来てくれる」と考え、声を上げずにやり過ごしてきたという。