国内でも岩場から雪山まで1年を通して山をガイドする。ガイドの経歴も実績も群を抜くが、後輩からも客からも「けんけん」と慕われる。昔から、リーダーにはなっても王様にはならないのが近藤だ(撮影/加戸昭太郎)
国内でも岩場から雪山まで1年を通して山をガイドする。ガイドの経歴も実績も群を抜くが、後輩からも客からも「けんけん」と慕われる。昔から、リーダーにはなっても王様にはならないのが近藤だ(撮影/加戸昭太郎)

■冒険って本当にときめく 山を独り占めしたくない

「冒険って本当にときめくんです。僕自身遠征登山の中でわくわくし、成長し、生かされた。だから独り占めしたくない。もちろん冒険は難しい山に限らなくて、山に登ったことがない人にとってはハイキングも冒険です。対象がどこであれ、本気で行きたいと思う人は連れて行きたいんですよ」

 平地では天性のホストでエンターテイナー、山の中ではスーパーガイド──。それが、近藤を知る人が口をそろえる人物評だ。

 2016年に20歳でエベレストに登頂し、今は登山ガイドとして活躍する伊藤伴(いとうばん・27)は小学生のときから近藤に連れられ、山を歩いてきた。中学3年で西ヨーロッパ最高峰のモンブラン(4808メートル)、高校3年でネパールのロブチェ・イースト(6119メートル)、そして大学3年でエベレストとステップアップした。

「けんけん(近藤)はただ山に登らせてくれるだけじゃなく、旅全体を楽しませてくれる。そして、『がんばれ』とは言わないけれどやる気を引き出すし、長い遠征を過ごすメンバーの輪をつくるのもすごくうまい。まさに『青空ホスト』です」

 高所での強さにも驚かされる。近藤と伊藤はエベレスト登頂後、最終キャンプで1泊し、すぐ南にそびえる世界4位の高峰ローツェ(8516メートル)に継続登頂した。このふたつの山は標高7900メートルまでルートが同一だ。

 エベレストには毎シーズン、山頂まで固定ロープが張られるが、ローツェ側はルートが完成しない年もある。この年も固定ロープが途中で途切れていた。しかし、近藤は古いロープをつなぎ合わせて伊藤を確保し、落ちていた登攀(とうはん)用具を使って雪壁を登った。近藤は「なんかスイッチ入ったんだよね」とこともなげだが、伊藤は言う。

「ルートが途切れているのを見て僕が落胆していると、『伴、行くぞ』って。けんけんは登山技術はもちろん、状況に合わせて最適解を見つけ、トータルで登らせる力がすごいガイドだと思う。僕も今は人を山に連れて行く立場ですが、目標です」

 近藤は1962年、東京都足立区で生まれた。人を楽しませること、人と人とをつなぎ合わせることが好きなのは昔から。高校1年時のクラスメートでもある妻の久美子はこう言って笑う。

「『俺の友達はおまえの友達だから』って、いつも知らない人を勝手に連れてくるんです。昔も今も全然変わってないかな」

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