そのドゥンガとダブルボランチを組んだ当時30歳のサンパイオも1995年からJリーグで活躍し、迎えたW杯本大会では開幕戦でのオープニングゴールを含む3得点を決める活躍を披露した。最終的にはジダン擁するフランス代表の“斬られ役”になったが、前回王者セレソンの中で2人のJリーガーの働きは欠かせないものだった。
韓国代表の現役Jリーガーも増えた。当時のチームには、DFホン・ミョンボ(平塚)、DFハ・ソッチュ(C大阪)、FWキム・ドフン(神戸)の3人がメンバー入り。「左足の達人」と呼ばれたハ・ソッチュは、初戦のベルギー戦で直接FKからゴールを記録。「爆撃機」の異名を持ったキム・ドフンはグループリーグ2試合に先発出場。当時29歳の「アジア最高のリベロ」ホン・ミョンボは、すでに自身3度目のW杯だった。だが、チームは初戦でメキシコに逆転負けした後、2戦目にオランダに0対5の惨敗を喫し、大会中にチャ・ボングン監督が解任される事態になった。
そして忘れてはならないのが、ユーゴスラビア代表として出場したストイコビッチ(名古屋)だ。1994年夏に来日して日本のファンを虜にした後、33歳で自身2度目のW杯にJリーガーとして出場。内戦に対する制裁措置の解除後初の国際大会で背番号10を背負い、洗練された華麗なテクニックで観衆を魅了。抜群の存在感でパス回しの中心となりながらドイツ戦では自らゴールを奪い、決勝トーナメント1回戦のオランダ戦でもFKから美しい軌道のボールを送り込んで同点弾をアシストした。チームはベスト16で敗れたが、全世界に“ピクシー健在”を見せつけたことは、日本人としても非常に誇らしかった。
その後、2002年の日韓W杯では、韓国代表にMFパク・チソン(京都)、ユ・サンチョル(柏)、ユン・ジョンファン(C大阪)、FWチェ・ヨンス(市原)、ファン・ソンホン(柏)と5人の現役Jリーガーが選出。初戦のポーランド戦は、ファン・ソンホンとユ・サンチョルのゴールで2対0の勝利を収め、パク・チソンは1対0で勝利したポルトガル戦で殊勲のゴール。ベスト4進出を果たしたチームの中で存在感を見せた。また、同大会にはスロベニア代表としてDFミリノビッチ(市原)もメンバー入りし、元G大阪のカーリッチとともにグループリーグ全3試合に出場した。