ブラジル大会では「トレーニングパートナー」として日本代表に帯同した坂井大将
ブラジル大会では「トレーニングパートナー」として日本代表に帯同した坂井大将

 今年の11月にカタールで開幕するサッカーのワールドカップ。日本代表が7大会連続で出場する中で、過去の大会との“違い”に「メンバー登録枠26人」がある。それに伴って影響を受けることになりそうなのが、登録外ながらチームに帯同して練習を補佐するW杯の「サポートメンバー」だ。

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 これまで大会毎に、選考方法も含めてその扱いは様々だった。日本が初出場した1998年フランス大会では、大会直前のスイス合宿に25人の選手を連れて行き、そこから登録メンバー(当時22人)を決定し、岡田武史監督が「外れるのは、市川、カズ、三浦カズ。それから、北澤」と発表。三浦知良と北澤豪の2人が帰国したが、当時18歳だった市川大祐はチームに残り、紅白戦などでプレーして現地での練習をサポート。市川はその経験も生かしながら、続く2002年の日韓大会で本大会メンバーに選ばれ、グループステージ第3戦のチュニジア戦ではアシストも記録した。

 その2002年日韓大会と2006年ドイツ大会では監督の意向もあって、サポートメンバーは招集しなかった。だが、ジーコ監督が率いたドイツ大会では、DFのレギュラー候補だった田中誠が直前合宿中の練習で肉離れを発症してチームを離脱。代わりにハワイでバカンス中だった茂庭照幸が緊急招集されるドタバタ劇が起こった。ちなみに、その茂庭は持ち前の明るさですぐにチームに溶け込み、初戦のオーストラリア戦では負傷したDF坪井慶介に代わって後半途中出場を果たしたが、力を発揮できずに悪夢の逆転負けを味わうことになった。

 この3大会の経験と教訓を元に、2010年南アフリカ大会では登録メンバー23人とは別にサポートメンバー4人を選出。ドルトムントへの移籍が決まっていた当時21歳の香川真司と同じく21歳でJ1・新潟でレギュラーに定着したばかりの酒井高徳、さらにまだ大学生だった永井謙佑、山村和也という将来有望な若手をチームに帯同させている。

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ブラジル大会では将来有望な2人を選出