その後も萬代さんは各地の被災地で活動した。働きながら、災害があると仕事を休んで被災地に行く生活だった。この道一本で生きていこうと決めたのは、西日本豪雨のとき。広域が被災し、支援の手が不足していた。
「1年はかかるだろうと思いました。でも、1年も仕事を休むわけにもいかない。災害現場での重機の必要性も痛感していました。ならば、この道でやってみようと決めたんです」
萬代さんが被災地で活動することで、支援のバトンもつながっている。静岡でも萬代さんの姿を見て、重機の免許を取得する地元の若者が現れ始めている。
一方、彼らの活動には課題もある。こうした「災害支援のプロ」を公的に支える仕組みはない。一年の大半を被災地で過ごし、発災初期は不休で災害対応に当たるが、収入は寄付などに支えられている。若い世代がこの世界に入ってこられるよう、前原さんらは収入を得られる仕組みづくりにも力を入れる。
「僕はまだ、霞(かすみ)を食べて生きていく能力はない」
冒頭の講演で、前原さんはそう言って笑いをとったが、それは偽らざる本音でもある。
日本の災害現場に技術を持ったプロが増えれば、復興のスピードも、質も変わっていくはず。そのためにも、彼らを社会全体で支える仕組みが求められる。(編集部・川口穣)
※AERA 2023年3月6日号より