――SNS上で<このままだとあたし おばあちゃんころしちゃうかも>という、ヤングケアラーの少女の言葉に、とても驚きました。
一人で祖母の介護を担っていた若い女性が、介護に追い詰められて祖母を殺してしまうという事件がありました(2019年10月8日兵庫県神戸市)。
殺人罪に問われた女性は、他の家族から祖母の介護を押し付けられて、平日夜と週末の介護を一人で背負っていました。事件当時のその女性の年齢は21歳で、ヤングケアラーとは言えないかもしれませんが、事件の前夜には自殺未遂も起こしており、思い詰めての行為です。まさしく「SOSを出したくても出せないヤングケアラーの心情」と繋がります。
この事件を題材にし、殺害してしまうのではなく、そのSOSを子供の家がキャッチしたとしたらどうなったのだろうか。大人だと心を開いてくれないかもしれないから、年齢の近いうさこに、ヤングケアラーである少女のケアを依頼するという展開を考えました。
もう一つの外国人の子供に関してですが、それまでは親が入管に収容されたり帰国させられそうになったりする子供たちのことを考えていました。子供の家が名古屋にあるという設定なのですが、同じ在日外国人でも来日して長い年月になる日系ブラジル人の子供たちが大勢暮らす地域があることを知りました。さらに、この日系の子供たちは「日本の学校に通ってもいい」ということで公立校に通ったり、逆にブラジル人だけの学校があったりすることも分かりました。
いずれにしてもいわゆる「義務教育」ではないので、日本語につまずいたり、いじめにあったり、悪い交友関係に巻き込まれたり、お金の問題があったりといった理由で学校を辞める子供も多いのです。日系や外国人の子供たちの所在が分からなくなっていること、その存在が見えなくなっていることを、子供の家を間におきながら並行して描こうと思いました。
――「家は豚小屋、ゴミ屋敷。妹はお腹を空かせて泣くし、弟はおしっこでたっぷんたっぷんになったオムツでそこらじゅう這っとる」といううさこのセリフが、問題点をより明確に浮き彫りにしています。
シバリもうさこも、生まれ育った家庭環境は本当に良くありません。本人の意思に関わらず、経済的理由や親の問題、周囲の環境のせいで教育の機会を奪われている子供たちが、日本にもまだたくさんいます。
「親ガチャ」という言葉がありますが、「生まれた時に人生は決まっている」「底辺に生まれた子供は死ぬまで底辺」というような考えを持つ人は、大人にも子供にも多いかもしれません。でもそういう考えに対して「そうじゃないんじゃないか」と、「一生そのままというわけではないのではないか」と言いたいのです。
親とか血縁とかいうものに縛られるのではなく、「親との縁を断ち切ったっていい」、「変わることができるんだ」ということを知ってもらいたいという気持ちが強いのかもしれません。小説の中に「今だけじゃなく将来も奪われている子供たち」というセリフがありますが、奪われた「将来」や「未来」を子供たちの元に取り戻させてあげたい。『キッズ・アー・オールライト』を書き終わったときに思ったのは、このことです。