また東京は私のような上京者の都市ゆえ、出身地の話をすると目を細めてくれ、そこの居酒屋での経験などに、必ず「そうそう」と一杯注いでくれる。むずかしい議論とはちがう、郷土の自慢話や恥ずかしさは、互いに人間じゃないかと、うち解けた空気が生まれる。
逆に、自分の出身地の県民性も客観的に見るようになり、その目で再訪して、自分はこういう人間だったんだと思うのもほろ苦い経験だ。しかし根底には愛があり「出身だからしょうがないよ」と他県人の気質も認めてゆくことになる。それは豊かなことだ。
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各地の居酒屋から見た県民性がわかってくると、ではその総体「日本の居酒屋」に表れる国民性はどういうものかを考えるようになった。
世界の酒場に詳しいわけではなく、入ったことがある程度だが、イギリスのパブ、フランスのカフェ、ドイツのビアホール、イタリアやスペインのバル、アメリカのスナックバーなど世界中に、庶民が気軽に一杯やって一息つくところはあった。日本では居酒屋だ。
日本の居酒屋の特徴は料理が圧倒的に多種多様に多いことと思う。外国はレストランに入ればいろいろあるんだろうけれど、そこは食事をするところ。酒を飲むための居酒屋はソーセージかフィッシュアンドチップス、フライドポテトくらいで、さほど凝らず、そもそもあまり食べ物を注文しない。
しかし日本には「酒のつまみ」という一大料理ジャンルがある。畑の野菜、海や川の魚介、海藻、鶏・豚・牛肉、それらのモツ、豆腐、油揚などのお惣菜、煮物、漬物、揚げ物、串焼き。「珍味」という酒をうまくするためだけのもの。季節が加わって「お、これが出たか」という楽しみも。そして中年男に人気の「母の味」。総品数が100以上あるのは普通。それらはすべて食事ではない酒を飲むための「肴」で、一皿の量は少なく、酒の進行に合わせて適当に追加する。レストランのディナーや高級料理屋の、店が主導権をもつコースはなく、山ほどある品から好きなものをばらばらに頼めばよく、店は定番も名物も工夫を凝らして客を待つ。まことに民主的なこういう店が成り立つのは、日本の食材の豊かさであり、サービス精神と思う。