
プロ野球のドラフト会議が10月20日に開催される。今季4位に終わった巨人は、近年はFAなどの補強に頼ることが多く、ドラフトは1位指名の競合くじ(外れ1位も含む)で11連敗中だが、かつては逆指名制度下(1993~2007年)以外でも、のちの主力選手を複数獲得した“大成功ドラフト”が何度かあった。
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まず1位で篠塚利夫、3位で中畑清と、のちの主力打者2人を獲得したのが、1975年のドラフトだ。
同年、球団史上初の最下位という屈辱を味わった巨人は、当初即戦力投手に狙いを定めていた。
だが、指名順7番目(当時は予備抽選ドラフト)とくじ運に恵まれず、この時点でめぼしい投手は残っていなかった。
そこで急きょ野手に切り替え、浮上したのが銚子商の主砲・篠塚だった。
2年夏の甲子園で2本塁打を放つなど、大会屈指の強打者として同校の全国制覇に貢献した篠塚はその後、慢性肋膜炎を患い、3カ月入院。最後の夏には間に合ったものの、ドラフト前の9月に再発し、医師から過激な運動を禁じられていた。
こうした事情から各球団とも慎重になり、「指名されても3位くらい」とみられていたため、巨人が篠塚を1位指名した直後、会場から「ウォーッ!」と驚きの声が上がった。
あえて1位で指名したのは、長嶋茂雄監督が主治医から「大丈夫」の情報を得ていたからともいわれるが、篠塚の健康不安説がなければ、おそらく7番目まで残っていなかっただろう。
3位の中畑も、日米大学野球で全日本の4番を打った実績から、本来なら1、2位で消えていてもおかしくない逸材だったが、「視力に難がある」という噂から上位指名を見送られていた。
結果的に健康不安説や「目が悪い」噂が幸いして、巨人は81、89年の日本一に貢献した2人を両獲りできたのだから、幸運はどこに転がっているかわからない。
また、同年は5位の山本功児(本田技研鈴鹿)も貴重な戦力になり、のちにロッテで落合博満とクリーンアップを組んだ。