だが、その巨人戦の途中でベンチに退くと、高津監督は「ちょっと張りがあるということだったんで、代えました」と話すにとどめたが、内川は再び戦列を離れることになる。8月にファームで実戦復帰し、イースタンでは常に3割3分台、時には3割4分台と高い打率をキープしたものの、9月28日に記者会見を開いて今季限りでの“引退”を発表した。

「やっぱり自分はね、ヒットを打つために一生懸命バッティングをつくってきましたけども、ここ最近の野球界のバッティングってのはね、基本的にホームランを打つためのバッティングをしながらヒットを打つってことに、だんだん変化してきてるんじゃないかなっていうふうに思いましたんで。その波の変化にね、僕も対応しきれなくなってきたかなっていう気持ちがあったのは、正直なところですね」

 それが決断の理由だった。さらに内川には、自身の引き際を決めた理由がもう1つあった。それは現在、大分高校野球部監督を務める父・一寛(いっかん)さんが、かつて“定位置”としていた場所で、最後にプレーできたことだ。

「生まれた時から父を目標にして、父の背中を追いかけて、父から野球を教えてもらってっていうことで高校までやってましたんで。父が法政大学で、(東京)六大学で、神宮でファーストを守ってたんですよ。どこの時点で追い抜いたとかわからないですけど、でもその父が守ってた神宮球場のファースト、そこをホームグラウンドとするチームでプレーする機会を与えていただいて、そのファーストを守れたっていうことを考えると、ホントに今まで野球をやってきた中で、最後のご褒美っていって与えてもらった機会だったのかなっていうふうには思ってるんで。それも、もう引退っていうふうになってもいいかなって決めた一因ではありましたね」

 もっとも、冒頭で紹介したセレモニーで「NPB現役生活、プロ野球選手を卒業します」と含みを持たせた言い方をしていたように、これで完全にバットを置くと決めたわけではない。

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「野球選手として終わりたくないなって」