11月12日と13日、天龍プロジェクトの「龍魂杯」が開催だ。16人の選手がトーナメントで頂点を争う大会で、俺の名をどこかに残していこうと代表の紋奈が考えて2021年から始まったんだ。今年で第二回だが、その第二回目にして天龍不在だ……。
「龍魂杯」のタイトルの題字を書いたのはまき代で、まだ生きているときに紋奈ががんの治療で入院しているまき代のところに紙と筆と墨汁を一式持って行って看護師さんに「渡しといてください!」って言ったてんだから、本当にうちの女たちは大したたまだよ(笑)。
今年の「龍魂杯」もテッペンに立とうと思ったら2日で4試合を勝ち越さないといけない。出場する選手にはケガ無く乗り越えてもらいたいし、始まったばかりの「龍魂杯」を盛り上げて、腹いっぱいにして帰ってもらって、自分の自信につなげてほしいなと思うよね。
この記事が配信される日は、そんな「龍魂杯」も2日目で、大会の日はもっぱら病院の消灯時間を破って大会映像を見ているよ。しかも天龍プロジェクトは1大会観るだけで本当に体力を使うから、主治医にはもちろん内緒だ(苦笑)。
でも、その中で「天龍コール」や「エイエイオー」を見ると力が出るし、それをまた代表と「あーでもない! こーでもない!」って話して、リハビリをがんばっているところだ。土日は競馬に「龍魂杯」にリハビリにと、俺はとっても忙しいよ!
首が上下左右全く動かないからだで何もできないと感じる一方、こうしてプロレスに競馬にリハビリと、出来ることもあるんだと考えるようになった! そうして今、俺にもできることがあるんだと感じさせてくれる人たちには感謝しているし、待ってくれている人たちにも同じ気持ちだ。
そんな人たちに少しでも早く元気な姿を見せられるようがんばるから、もう少しだけ待っててくれよ! 以上、今回は俺の近況報告。次回からはまた、昔のエピソードや最近思ったことを語れると思うから、よろしく!
(構成・高橋ダイスケ)
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。