料理研究家の枝元なほみさんは、農業生産者のサポートや「夜のパン屋さん」「大人食堂」などフードロス×飢餓ゼロ運動に力を注いでいます。枝元さんは、これまでの価値観のままで暮らしていては未来を食べ散らかすことになる、と危惧しています。枝元さんの新刊『捨てない未来――キッチンから、ゆるく、おいしく、フードロスを打ち返す』から、現代史、特に食と農の歴史を専門とする藤原辰史さん(京都大学人文科学研究所准教授)との対談を一部を抜粋・改変して公開します。暮らしの「豊かさ」とは何か、いまだからこそ、考えてみませんか。
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■対症療法と、根源的な変革
枝元なほみ(以下、枝元):私は、食まわりのこと全般に関してずうっと、藤原先生と近しいところに立っているように感じていました。フードロスというテーマを考えていくにあたって、まず先生といろいろとお話しするところから始めたかったのです。
藤原辰史(以下、藤原):ありがとうございます。
枝元:フードロスの問題について、私は「対症療法」的な感じもして、もやっとするのです。キッチンの女に押し付けられ、小さな問題に押し込められるような。イラッとすると言ってもいいかもしれません。もうひとつロス、つまり「捨てる」「ごみにする」ことで考えるのは、プラスチックの問題をはじめ、消えてなくならないものを廃棄する問題です。今から30年近く前、まだ若かったころに、どなただったか女性の作家の方が書いていて印象的だったのは、庭で落ち葉と一緒に家のごみを燃やしているとき、プラスチックのものが燃えなくて、土に還らなくて疎ましいと。人間が、それを便利だと思ってどんどんつくっていったものであるにもかかわらず、です。
藤原先生は、『縁食論――孤食と共食のあいだ』(ミシマ社、2020年)の中で、フードロスを「ひとりひとりの心がけの問題」とすることに疑問を呈していらっしゃいました。私は、うんうん、とうなずいて力をいただきました。でも今、次々とものを捨てていく文化、分解されるものとされないものの問題、プラスチックの環境への影響など、すべてが絡まり合って、問題がもうエッジのところまで来ちゃっている。その状況と、東京オリンピックの会場で起きた食品廃棄(注1)のような問題を重ね合わせて考えたとき、自分は、今まさに起きているこの問題に対して何もできないのか、どうしたらいいのだろうと、気持ちが鬱に入りかけたりもしてしまって。