■楽しく食べること。誰かを傷つけずに食べること
枝元:私は、料理をもう30年くらいやってきました。そうすると、ひととおりのことはやったな、と。楽しそうなもの、安くできるもの、おいしそうなもの、早くできるもの、栄養があるもの、と何巡もやってきちゃったな、と思ったんです。私の仕事は家庭料理を作ることですが、家庭料理は、さまざまな意味でちょうど転換点にあったと思っています。主婦と呼ばれる人が家の中を切り盛りして、そこの中心的な食を担い、家族全員のごはんを作っていた時代から、女も外に出て働く時代へ。この変化の中で、日々の料理は簡単にできることが求められ、製品としてでき上がっているものもどんどん利用される形に変わってきました。私が若いころは、まだコンビニもあんまりなかったです、えへへ。
では今、料理研究家の自分は何をするのかと考えたとき、早くできる、安くできるなど、言ってしまえば食の表層の部分、ある意味で派手やかな部分はもういいのかなと。そこから進むのか、戻るのか、「人が飢えない」ということを考えていきたいと思ったんです。
気候危機や戦争などで、これからさらにたくさんの人が飢える可能性もあります。そういう中で、タネや農薬の問題なども含め、誰もが必要とする食というものが企業に独占されていって、同時にロスもつくり出していく。この大量生産・大量消費・大量廃棄のループから降りないとヤバいという思いと、高度成長期にプラスチックとともに育ってきた責任みたいなものが、自分の中にすごくあるのだと思います。
藤原:私はまさに、プラスチックがあふれ、捨てられる時代に、プラスチックに欲望して生きてきた人間です。おもちゃも全部、プラスチックや超合金で、少し経つと身の回りはいつの間にかペットボトルだらけ。あのカチカチ、つるつるしたプラスチックが、おそらく精神にまで深く根差してしまっている世代です。私ももう40代半ばなので、本当に責任を感じていて、もう一度、修理しやすく分解しやすい素材を中心にものを考えたいと思っていたところでした。だから、枝元さんの今の振り返りは、とても心にしみるんですね。