藤原:お聞きしながら感じたことを、まず大きな話からしますと、目の前に何か問題があるときには、常に二つの目線を持って対応しなければならないということです。ひとつは対症療法、もうひとつは根源的な問題に立ち向かっていくことです。
枝元さんの中にある「もやもや」というのは、医者が目の前の病に対して「痛みを止めますよ」と応急処置をするようなこと。他方で、その病を根絶するには、1カ月なり1年なりの入院、または長い間の投薬で治していく、あるいは付き合っていくというプランがある。それを両方とも考えればいいと思うんです。目の前の問題を思って感情が鬱になるような状況に対しては、それこそ、食品廃棄をやめさせるための署名から始める、というように。
フードロスというのは、経済システムそのものを根源から変えなければ、おそらく永遠になくならない問題であって、かなり根深い。一方で、オリンピックのようにいろんなところで次々起こる問題に対しては、まさに応急処置なり、対症療法なり、または小さな抵抗運動による意見表明なりをして闘わなければならない。そう考えると、フードロスというのは、今のこの世の中の生きにくさを象徴していますね。
枝元さんは、食べることのアイディアを生み出し、文化として手渡すドリームメーカーのような仕事をしている一方で、食べられないまま捨てられるものに、あえて注目している。料理をつくる人は、基本的に「このにんじんの切れ端のほうはどうなったの?」と消費者側、食べる側から聞かれることはないですよね。そこは聞かないことになっているこの社会で、枝元さんが、それでは納得がいかずに目を向けているのは、稀有なことだと思うんです。ごはんを食べることの楽しさをわいわいと伝える一方で、なぜ、隠しておいてもよかったはずの、この食文化の暗部にわざわざ着目したのか。そこはもっと驚いてよいことだと思いながら聞いていました。