大分合同新聞社の社長長野景一は、2016年に42歳の若さで社長になってから、めったに笑わなくなった。同社は長野家のオーナー企業だ。
「副社長時代には、あんなに笑顔でいたのに、なんでそんな怖い顔になったんですか」
長野景一は、他数人の取締役とともに、20代、30代の若い世代との食事会を月に1回おこなっている。現場の声を聞くためと始めた試みだったが、あるとき、その会で若い記者からそう聞かれて、どきりとする。
紙からネットへ怒濤のように変わる市場を前にして、地方紙は苦闘している。
大分合同新聞も例外ではなく、2003年には25万部あった紙の新聞の部数は、2022年下半期には16万4848部、つまりこの20年で3分の2に縮小してしまった。
「変わらないために変わらなければならない」
長野は社長に就任してから幾度となく、こう社員に語りかけている。
自分で先に結論をだすことはしない。執行役員以上が参加して「いかに持続可能な新聞社をつくるか」を討議する幹部会に私は出席したが、長野は、それぞれの意見は聞くが、最後まで自身が発言することはなかった。
その長野が、期待をよせているのではないか、と現場が感じている新しいプロジェクトがある。
大分合同新聞は、1951年に、全国に先駆けて朝夕刊の完全セットを始めた新聞だ。その栄光の夕刊を廃刊にしたのが、2020年3月末。翌4月からその夕刊にかわる形で朝刊に週4回、タブロイド判8ページの「GX PRESS」がはさみこまれるようになった。
今週は、変わろうともがく地方紙のまさに現在進行形の話。
5代目の社長である長野景一が、同社に入社したのは、2004年4月。その年の秋には副社長になるが、まだ30歳だった。紙の新聞がピークをむかえていたころだ。
同社に入社する前は、電通にいたが、電通時代の長野は、夜、西麻布のクラブで「DJイントニオ」としてレギュラーを持ち、二枚のターンテーブルのLPを両手でスクラッチして、フロアをあげていた。髪形もロンゲやソフトモヒカンと自由自在。