当時の日本代表メンバーはJリーグを大いに盛り上げた。まだ海外で活躍する選手がほとんどいなかった時代である。そして特筆すべきは、いまと違って大学出身選手が6割を占めていたことである。井原正巳、中山雅史、長谷川健太(筑波大)、堀池巧(順天堂大)、柱谷哲二(国士舘大)、勝矢寿延、高木琢也(大阪商業大)、澤登正朗(東海大)、福田正博(中央大)、松永成立(愛知学院大)などである。
Jリーグ草創期は大学出身選手の活躍が目立った。1993年のJリーグ元年には、「ドーハの悲劇」の日本代表のほかに、木村和司(法政大)、水沼貴史(明治大)、加藤久(早稲田大)、柱谷幸一(国士舘大)など、30歳を超えたベテランが活躍していた。
1990年代後半になると高校卒やクラブのユースチーム出身の選手が増えていく。中田英寿(韮崎高)、前園真聖、城彰二(鹿児島実業高)、川口能活(清水商業高)、中村俊輔(桐光学園高)などである。のちに日本代表キャプテンとなる宮本恒靖は同志社大出身だが、ガンバ大阪ユースからトップチームに昇格し活躍していた。
進まない大学出身者の世代交代
それでも大学出身の日本代表選手はJリーグにおいて存在感があった。1997(平成9)年、ワールドカップフランス大会初出場がかかるアジア最終予選・イラン戦で決勝ゴールを決めた岡野雅行(日本大)。そして、三浦淳宏(青山学院大)、相馬直樹(早稲田大)、藤田俊哉(筑波大)、名波浩(順天堂大)、服部年宏(東海大)、上野良治(早稲田大)などである。
2000年代になると、大学出身の名選手が次々と引退していくが、大学出身の世代交代はなかなか進まなかった。それだけ高校・クラブチーム出身者が幅を利かせるようになったからであり、大学にとっては残念な話だが、これはサッカー界全体のレベルが高くなったことを意味する。ただ、1999(平成11)年に2部リーグとしてJ2が発足したため、大学出身Jリーガーの数が一時的に増えている。