気がつけば、恵美さんは大声で泣きながら話をしていた。すると産業医は、優しくこう声をかけた。
「つらい思いをしましたね。情緒が不安定なところを見ると、あなたは適応障害と思われます。落ち着くまでしばらく休職されることをお勧めします。人事部には私から伝えておきます」
恵美さんは、自分の思いを理解してくれたと安堵(あんど)し、産業医の配慮に感謝した。
■「首切り」の急先鋒だった産業医
2カ月後、落ち着きを取り戻した恵美さんは、職場復帰を会社に希望した。
人事部は職場復帰の可否の判断のために、「主治医からの診断書の提出」と「産業医との再度の面談」の指示をした。
産業医の様子は、前回の面談とは全く異なっていた。
「確かに、主治医の診断書には『問題ない』と書かれています。しかし、主治医の診断というものは、病理学的な判断に過ぎません。重要なのは、『会社の仕事に耐えられる水準まで回復したかどうか』なのです。それを判断する役目は、仕事内容を熟知している産業医、つまりこの私なのです。主治医ではありません。その診断書は、産業医にとって単なる参考意見にしか過ぎません」
戸惑い黙っている恵美さんに、産業医はこう続けた。
「あなたのように非営利法人での勤務歴が長かった人は、民間企業での勤務は難しいでしょう。現に、休職前の営業成績が悪かったと社長からも聞いています。会社が利益を出す行為を生理的に毛嫌いしているなら、復帰しても同じことです。また精神的な疾患になる可能性が高いと言わざるを得ません」
恵美さんは焦った。
このまま復帰が認められず、休職期間の上限である半年間を経過すると、就業規則上では解雇されてしまうからだ。社長に直談判するも、
「法律上、私は専門家の意見を尊重しなければならない立場にある」
と取りつく島もない。そう話す社長は薄笑いを浮かべているように見えた。