私はどうもあとの説に賛成だ。当時の常識として男性から誘われた場合、一度はノウといってみせるのがエチケットである。本当に気があれば二度も三度もやって来るはずなのに、残念ながら式部の日記にはそのあとのオハナシは残っていない。
してみるとやはりこれは道長のほんの気まぐれだったのではないだろうか。が、式部はそうは思わなかったらしい。よほどうれしかったとみえてイソイソとそのことを書きつけているあたり、女らしいウヌボレが顔をのぞかせている、とはいえないだろうか。
そして私のみるかぎりでは、そのウヌボレは「源氏物語」の中にも影をおとしていると思われるのだが……。
「源氏物語」に「帚木」「空蝉」という巻がある。光源氏は、ふとしたことから、年とった地方官の後妻になっている空蝉と一夜のちぎりをかわすが、なぜかその女のことが忘れられない。
身分も源氏とは段ちがいの中流官吏の妻だし、どっちかといえば不美人にちかいのだが、それでも持っている雰囲気がすばらしいのである。源氏はしきりに二度の逢う瀬を求めるが、彼女の答えは意外にもノウだった。
上流の貴族の娘さえ、彼のさそいには二つ返事なのに、思いのほかの拒否にとまどいもし、ますます恋心をかきたてられる。空蝉だとて源氏を憎んでいるわけではない。が、一時的にもてあそばれるのはいやだし、かといって源氏が真剣に恋してくれても、すでに地方官の後妻になっている自分がどうなるものでもないではないか……。
こうして空蝉は、源氏が苦心して近づくのをたくみに身をかわしてしまう。
文学作品に性急にモデルを求めるのは危険だが、私にはこの空蝉にはどうも紫式部自身の姿がのぞいているような気がしてならない。
中流官吏の家の出身、年のちがう夫(式部も夫とは大分年がちがっていた)、あまり美人に仕立てあげていないのも意味ありげだ(式部自身美人だという言いつたえはない)。
その空蝉に、天下一のひと源氏を拒否させたことは、つまり道長を拒否したあの夜の事件が二重映しになってはいないだろうか。