1971年、スポーツ推薦制度は廃止となる。その後、優れたアスリートは他大学で活躍するようになり、立教大のスポーツはしばらく冬の時代をすごした。
90年代、立教大のなかでスポーツ強化の機運が高まった。そして、94年、自由選抜入試制度が導入された。高校在学中に、スポーツ・文学芸能などの諸活動において、一芸に秀でた顕著な実績を残した生徒が対象となり、スポーツ選手の層が少しずつ厚くなっていく。2008年にはアスリート選抜入試を導入し、高校ナンバーワンと言われるアスリートが入学するようになった。
立教大がスポーツ学生受け入れを再開したのは、少子化対策としてさまざまな学生を受け入れたい、なかでもスポーツで秀でた学生が活躍することで大学の存在を全国にアピールしたいという考えも、当然あっただろう。
大学史にこんなフレーズがあった。1950年代、スポーツが強かったころの振り返りである。
「体育会各学部はいずれも全盛期を誇り、広く立教ファンの心のなかに強烈な思い出を残した時代でもあった。ことに長嶋茂雄の八号ホーマーとそれに続く巨人入団後の活躍によって、折からテレビの受信契約百万突破(一九五八年)という普及率の上昇、週刊誌全盛の幕あけという大衆社会の成長の中で、長嶋を通して立教の名が広まったことは否定できない」(立教学院百年史)
いまの若い世代にすれば、長嶋茂雄氏の活躍を知る者はほとんどいないだろう。知名度は立教大OBの息子、一茂氏のほうがあるかもしれない。
立教大を多くの人に知ってもらえるためにも、長嶋氏クラスのスター選手までは求めないにしても、さまざまな競技で強くなってほしいと、大学は願っているはずだ。スポーツによって「立教の名が広まった」という成功体験を、箱根駅伝出場で生かしたい。大学入試で併願相手となる青山学院大はここ数年、駅伝で注目されている。これには負けたくない――そんな思いも抱いているのではないか。
近い将来、立教大は駅伝で青山学院大に勝って日本一となり、それを機に60年前のスポーツ最強伝説を復活させることができるか。
そうなれば、立教大のイメージは女子学生が多いミッション系から(2022年10月時点の女子学生比率は56.3%)、スポーツ強豪校へと大きく変わってくる。それも少子化、学生の多様化という時代の趨勢なのかもしれない。