立教大がいわばスポーツ最強伝説を作り上げたことを知る人は、大学関係者(学生、教職員)を含めて多くはないだろう。

 なかでもバスケットボール(男子)は向かうところ敵なしだった。繰り返すが、52、54、55、58、61、62年に全国制覇している。大学新聞でこう紹介されている。

「日本バスケツト界の創設者として三十五年の歴史を有している。常に優秀な成績を収め、日本バスケツト界をリードしている。特にメルボルンオリンピツク大会昨年のアジア大会においては立教中心のメンバーが編成された」(立教大学新聞、1958年12月20日)

 すこし解説しよう。日本に初めてバスケットボールが外国人によって伝えられたのは1908年とされている。その後、北米YMCA同盟の協力主事が、関西YMCAでバスケットボールを指導したことがきっかけとなり、日本国内で広く普及した。

 1924年、東京商科大(現・一橋大)、立教大、早稲田大の3校が「全日本学生籠球連合」を結成し、全国各地で対抗戦を行った。「日本バスケツト界の創設者」は、このことを指している。

 36年、オリンピックベルリン大会には、東京帝国大(現・東京大)や早稲田大などの学生が出場しており、立教大からは前田昌保氏が選ばれている。

 戦後、前田氏は立教大で指導する一方、オリンピック日本代表のコーチとなり、日本のバスケットボール界を引っ張った。56年メルボルン大会、60年ローマ大会のバスケットボール日本代表のコーチは、前田氏がつとめている。

両大会および64年東京大会のバスケットボール日本代表メンバーの出身校は次のとおり。

 56年メルボルン大会 立教大6、明治大3、東京教育大(現・筑波大)1、慶應義塾大1

 60年ローマ大会 立教大6、東京教育大、明治大2、慶應義塾大1、早稲田大1

 64年東京大会 立教大3、明治大3、東京教育大2、日本大2、慶應義塾大1、明治学院大1

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高校で活躍した逸材が集まった