後水尾は幕府と度々意見が対立し、怒って退位するぞ、と言ったことも何回かあった。そこにフツーの女であるお福が「春日局」などというエラソーな名前を貰ってしゃしゃり出てきて、

「御退位はしばらくお待ちを」

 などと言ったのに激怒し、退位を敢行してしまうのだ。これまで、退位などについては、幕府と相談の上きめるしきたりになっていたのに、一方的な退位宣言に幕府はあわてふためく。その結果、後水尾と徳川秀忠の娘である中宮和子(さだ子という説もある)の間に生まれた興子が女帝として異例の即位をすることになるが、その間の幕府の苦慮はひととおりではなかった。つまりお福は後水尾説得にミゴトに失敗したのである。

 こうしてみると、お福の烈女伝説のほとんどがウソだったことになる。(もし機会があったら、拙作『異議あり日本史』<文春文庫>所収の「春日局」をお読みいただきたい)

 が、それでもお福が家光の忠実な乳母ドノであったことだけはまちがいない。家光のライバルであった弟の国松(後の忠長)を一生目の敵にしていたことは確かで、国松失脚にはお福の息子たちも暗躍している。(二〇〇三年記)

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