学習院中等科から大学まで――。天皇陛下がまだ、「少年浩宮」であった昭和の時代。多感な青春時代をともに過ごした今井明彦さん(63)さんは、家族ぐるみの交流を続ける陛下の友人だ。同級生が知る天皇陛下の素顔とは。
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盆栽が好きでおじいさんみたいだから「じい」。
陛下も、そんなあだ名を喜んで受け入れていました。でも、僕たちは、先生から「殿下」とお呼びするようにと言われましたので、「殿下」とお呼びしていました。
校内では浩宮さまの侍従や護衛官も教室の外で常に待機していたと記憶しております。
皇位継承者としての特殊な環境は、当然あります。しかし、そうはいっても子ども同士。特に、中等科からは男子校ですので最低限の礼儀は守りつつも、自然と男同士のつき合いになります。
中等科のお昼は、お弁当です。じかにたずねたことはありませんが、「殿下のお弁当は美智子さまの手作りなのだろうな」と、僕らはぼんやりと想像していました。たまに、「殿下のお弁当は、豪華なお弁当だったのか」と聞かれることもありますが、容器が重箱ということもありません。おかずも卵焼きなど、ごく普通のお弁当でした。
この時期の男子など、みんな悪ガキですからね。僕も仲間と一緒になって、普段は殿下の目には触れないような雑誌や写真が載った本をお見せするといった定番の悪さもしました。
しかし、悪ガキの期待はあっという間にしぼみました。さすが、といいますか殿下の反応は、いつもどおりニコニコするだけ。さらりと、受け流してしまったからです。
普段から、動じる様子をほとんど見せなかったのは、幼い頃から受けた「教育」のなせる技かもしれませんね。
卒業後も私は、同窓会の幹事を引き受けていたこともあり、比較的陛下とは連絡を取っていました。
毎年お正月には、家族ぐるみで同級生仲間と東宮御所におうかがいします。おせち料理を頂き、雅子さまや愛子さまもご一緒に、年始のお祝いをさせていただくのです。
私たちは、陛下とはざっくばらんに話をする友人です。皇太子だった平成の時期に、「時代に即した新しい公務を」と発言されたように、新しい皇室の在り方を模索していらっしゃった。